2015年03月10日

震災から4年 独自の復興を進める石巻市と南三陸町

東日本大震災で犠牲になられた皆様には心よりご冥福をお祈りいたします。
 
3月11日を迎え、東日本大震災から4年という時間が流れた。この4年間、被災地では、震災復興計画のもとに、それぞれ特有の復興への道筋を描いてきた。私は、2011年8月に震災復興ワークスを設立し、被災した地方自治体の復興への企画、政策立案、具体的事業へ支援を続けてきた。その中で、宮城県石巻市と南三陸町は隣接する自治体ではあるが、復興への道筋ではまったく異なる戦略を取っている。その自治体の現状から見える復興の姿をご報告したい。

1 「中心市街地活性化」と「地域包括支援センター」を軸とした石巻市
 石巻市は、今回の震災で最も犠牲者を多く出した自治体であり、全壊の住宅戸数、漁港、漁業関連の被害総額が最も大きかった。平成の合併で面積が広がったため被害も大きく、特に牡鹿半島、雄勝半島など旧自治体の被害が甚大で、復興へのかじ取りが本当に厳しい自治体となっている。
 石巻市の復興への特徴は、自治体では地域包括ケアを土台とした「安心して住める仕組み」を構築することと、民間の企業や地元土地所有者が進める民間型再開発事業による「民の力」の連携だろう。
亀山紘市長は、人口減少と店舗被害も大きいJR石巻駅前の中心市街地に、店舗の建て替えなどを進める中心市街地活性化計画を策定するとともに、被災して全壊した市立石巻病院を石巻駅前に再建し、地域包括支援センターとなる「ささえあい」センターを隣接して整備する。石巻市では、病院とささえあいセンターを中心に、市民が健康状態を長く保持できるように予防検診、病気になった場合には診察、退院後のケア、介護等「人」を中心とした継続して連携する切れ目のないケアである「包括支援」の体制を整えている。
2012年には、地域医療で先駆的な長野県の佐久総合病院から、地域医療の専門ドクターを迎え、仮設住宅の一隅に「地域医療センター」を開設し、着々と準備を進めている。
復興の戦略は、漁業分野の復興はもちろんのことだが、市民が年老いても長く市内で安心して暮らせる「包括支援体制」により人口減少を少しでも食い止めようとしている。
市立石巻病院は、三陸海岸沿いで最も大規模で高度医療病院として生まれ変わり、ここに従事する医者、看護師、栄養士、保健士などの専門人材は、医療体制の専門家であると同時に石巻市民としても、地域コミュニティや教育への貴重な人材となることは間違いない。ある意味、病院や福祉、介護は今後も大きな地域雇用の受け皿であり、石巻市の産業のエンジンの役割を担うこととなろう。
一方、被災地で唯一、民間型の再開発事業がいくつも進んでいる。中心市街地エリアでは、地権者が共同して組合を立ち上げ、復興住宅、介護センター、店舗、業務床等を組み合わせた再開発事業が具体的に動き出している。加えて、石巻市の水産のランドマークとなる生鮮マーケットの運営も民間が主体となる。こうした共同化や民営化への動きは、石巻商工会議所の浅野亨会頭や石巻グランドホテルの後藤宗徳社長のように地元をまとめる人材の存在が大きい。もともと地元水産加工業を中心に力のある企業が多い事や今後の町の再建に身銭を切る勇気を持った民間人の存在は、石巻の今後の発展にも希望が持てる。しかし、中心市街地に広がる空き地と駐車場をまとめて、住宅や公園、店舗などを整備するのにはまだまだ自治体と民間との連携が必要である。
地方創生が動き出す中にあって、この1月には地域再生計画に認定され、「地域包括ケア」を前提とした戦略が全国のモデルとして評価された。今後のソフト政策を中心とした復興のモデル地域として今後も支援していきたい。

2 住宅と店舗が分離したまちを目指す 南三陸町
南三陸町の防災対策庁舎は、今もその姿を残し、津波被害の大きさを語りかけている。
佐藤仁南三陸町長は、復興計画の中で被害の大きかった志津川地区を住宅建築不可となる警戒地域に指定し、防災集団移転事業を中心に高台に住宅を集め新たなまちを築く戦略を取った。いわば中心市街地を再整備する石巻市とは、正反対の戦略となっている。
現在、南三陸町の志津川地区では、高台の山を切り崩しその土を低地に運び、土地の嵩上が急ピッチで進んでいる。土地全体は11m高くなり、防潮堤の高さに匹敵する。切り崩し、平らにした高台3か所に住宅、病院、図書館などを整備する予定である。低地の嵩上した土地には、商店と水産加工所等を含めた産業用地として利活用する。現在、地元住民や視察、復興関係者で賑わっているさんさん商店街は、嵩上した土地に最も早く移転する予定である。それでも嵩上の終了が早くても来年の8月になるので、まだまだ先のことになる。さんさん商店街では移転にあたって、商店街整備と運営を一体的に進めるためのまちづくり会社を設立予定である。
そして、商店街や志津川地区にかかる橋の設計などグランドデザインを描いているのは、建築家の隈健吾氏である。グランドデザイン通りにまちの設計が進めば、被災地でも数少ない建築家が統一した姿が描いた地区になろう。ある意味それだけでもブランド化できる可能性がある。
加えて、あまり表面には出てこないが、三菱商事、三井物産、ANA等をはじめとする大企業の支援が厚いことも南三陸町の特徴である。
しかし、南三陸町のとった前例の無い住宅は上で商店が下というまちの構造については問題も見えてきている。津波からの身を守るという安心を重要視するあまり、買物や人々の暮らしという生活者の目線が置き去りになっている可能性がある。例えば、広い志津川地区には、住民がいないばかりか船宿やホテルの建築もできないために、夜間は全くの無人の地域となる。そうなると治安が悪くなり犯罪も起きやすくなる可能性が高くなるほか、万が一事故などが発生した時にも助けたり通報したりする人がいないという状況が考えられる。防犯、防災対策上、機械警備等の何かしらの警備体制や防犯カメラ、センサーなどを用いたエリアセキュリティのしくみを導入するなどの対策が必要であろう。また、高台にいる住民の足となる循環バスやコミュニティバス、買い物タクシー等の交通手段の整備も不可欠である。加えて、住民と離れた商店街の在り方も、復興時期の視察や工事関係者がいなくなる数年後の経営も心配される。
南三陸町の、住宅と商業分離のまちづくりはある意味、実験都市としての経営を長くに見守る必要がある。状況によっては、警戒区域の解除など職住近接、機能ミックスなどの現実的な対応も必要となろう。

中心市街地を再生する石巻市、高台に住宅を移転し海岸に店舗を整備する南三陸町。
隣接する二つの自治体で、まったく異なる復興への道筋が動き出している。このまちづくりの評価は、今後20-30年後にすべきであって、今は地元住民が決定したシナリオに沿ってまちづくりを進めていくことが大切である。
震災から4年、まだまだ被災地の復興には時間がかかる中で、震災復興ワークスもできる限り支援をすると新たに決意している。被災地の皆様に笑顔が戻ることを願っています。





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