2006年09月21日
島田 勝也さんが三鷹と沖縄を結びつける


沖縄県のまちづくりのキーマンのお一人である島田 勝也さんが三鷹市を訪ねてくれました。
島田さんとは、今年の1月に沖縄でお会いして以来、沖縄と三鷹市とで何かできることをさが
していきましょうと、お話を進めてきました。
日本の高齢化は、実は都市の問題です。かつての金の卵といわれた団塊の世代が地方から
都市部に働きにきて、そjこで所帯をもち子育てし、そして定年を迎える時期となったからです。
都市は、団塊世代が大量に定年をむかえても、その受け皿や役割を果たしていただく
場やステージの準備が整っていません。地域ボランティアグループだけでなく、NPOシニア
SOHO普及サロン・三鷹のように自らが「仕事をつくりだしていく」組織を作ってはいますが、
すべての人々がその活動に参加できるものでもありません。
団塊世代の方々は、都市だけでなく、全国にその活動の場や生きがいをもとめて、動こうとしています。沖縄は日本国内でも数少ないリゾート地域であり、中高年の長期・中期の「滞在型の観光」を進めようとしています。こうした沖縄のまちづくりの方向は、丁度団塊の方々の行動にぴったりであり、
暖かな気候と長寿の食物が都市の中高年の心を捉えています。
島田さんは、沖縄でのこの長期滞在型の観光やまちづくりの方向を都市の中高年のニーズにあって
いるのかなど、そのマーケティングの動きをここ三鷹市で確かめようと研究会を立ち上げました。
今後島田さんはコーディネート力を生かして沖縄と三鷹市の架け橋の役割を果たしてくれそうです。その動きに目が離せないですね。
Posted by 関幸子 at
00:09
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2006年09月20日
三鷹光器は世界の企業へ

9月15日に三鷹の小さな巨人「株式会社三鷹光器」の新社屋の完成祝賀会が開催されました。
会場には、国内の光学機器メーカー関係者だけでなく、ドイツ、アメリカの医療用顕微鏡メーカーのCEOがこのために来日されています。複数の方々より、祝辞が披露されましたが、「三鷹光器と一緒に仕事をすることは、私たちの誇りです」という言葉が入っていました。
会場にいた私も、本当に同じ気持ちでした。嬉しさがこみ上げてきました。
三鷹光器は、もともと三鷹天文台に勤めていた現会長(78歳)が、天文台に必要な機器の製造を
行うために設立した会社で、会長をはじめとして兄弟(男3人、女1人)が中心となっている会社です。
最初は望遠鏡を製造していましたが、宇宙工学にヒントを得て、現在では、非接触三次元測定器、脳外科用顕微鏡、高解像度立体視顕微鏡など医療用具へ主力が移ってきました。
どの製品も、中村勝重社長の「独自な発想」と精密で高度な技術に裏打ちされた製品であり、ドイツのライカとも製品のOEMを行っています。
この小さな会社に今年の四月には、天皇陛下が行幸されるなど、今では世界的なオンリーワンの企業となってきました。
ここ数年は、業績の伸びとともに工場の拡張が必要でしたが、住宅用地の中で建替えもできないでいました。三鷹市では特別用途地域指定を行い、市内の一定地域に住宅用地であっても工場の建設を可能としてきました。
こうした地域あげてのものづくりの存続支援を得て、三鷹光器の新社屋が完成しました。
これまでに10年の歳月がかかりましたが、住宅都市でのものづくりができることを三鷹市は証明したことになります。
2006年09月13日
隠岐国海士町 山内 道雄 町長
今年の4月に燃える人の会を島根県海士町で開催することが決まりました。そうだ海士町でやりましょう。でもそれって何処なの。海士町(あまちょうと読みます。)って読めないじゃないですか。
今回行くに当たっても、自分ではルートが決められませんでした。時刻表は読めるのに、最適ルートが見出せない。そこで経済産業省の吉田 雅彦さんにつれてきてもらいました。吉田さんありがとうございます。
島根県の七類港から快速船で2時間30分、隠岐島経由で島前の菱浦港について、ここはリゾートだと直感しました。美しい! まるで葉山のような雰囲気をもっています。
離島の田舎町という私の予想を大きく裏切るものです。日本の離島への公共事業投資は、ここまでのグレードなのかと驚嘆しました。
さて、海士町でのキーマンを数回にわたり紹介していきましょう。最初に登場するのはもちろん
海士町の 山内 道雄町長です。

山内町長と
山内町長は、もともと海士町出身で民間の通信会社に勤めていたことにより、行政に経営という
視点も持ち込んでいます。
自立、挑戦、交流 そして限りなき前進を掲げ、行政改革を断行中です。
最も大きな英断は自らの給料を50%もカット、その姿を見た自治体職員も
自らの給料の減額を申し入れるほどになっています。
年功序列を廃止するとともに、適材適所の人事を行い、一人何役も
こなす体制づくりをしています。
加えて、地方交付税の減少、人口減少に中で、縮小という道を進む自治体が多い中にあって、
第3セクターとして株式会社ふるさと海士を設立し、CASシステムによる海士で取れる農産物・
魚などを特殊冷凍して、島外に販売するなど、積極的に自立への予算獲得に向けた事業にも
着手しています。
あったかい大きな笑顔の奥には、冷静な判断と大胆な戦略が詰まっているようです。
関満博教授との息もぴったりとあい、戦う離島の象徴となりつつあります。
燃える人も、今後も海士に入っていきますのでよろしくお願いします。
あわせて、深田恭一助役、大江和彦地産地商課長、吉元操財政課長、青山富寿生交流促進課長
等 海士町役場の皆様に大変お世話になりました。ありがとうございます。
今回行くに当たっても、自分ではルートが決められませんでした。時刻表は読めるのに、最適ルートが見出せない。そこで経済産業省の吉田 雅彦さんにつれてきてもらいました。吉田さんありがとうございます。
島根県の七類港から快速船で2時間30分、隠岐島経由で島前の菱浦港について、ここはリゾートだと直感しました。美しい! まるで葉山のような雰囲気をもっています。
離島の田舎町という私の予想を大きく裏切るものです。日本の離島への公共事業投資は、ここまでのグレードなのかと驚嘆しました。
さて、海士町でのキーマンを数回にわたり紹介していきましょう。最初に登場するのはもちろん
海士町の 山内 道雄町長です。

山内町長は、もともと海士町出身で民間の通信会社に勤めていたことにより、行政に経営という
視点も持ち込んでいます。
自立、挑戦、交流 そして限りなき前進を掲げ、行政改革を断行中です。
最も大きな英断は自らの給料を50%もカット、その姿を見た自治体職員も
自らの給料の減額を申し入れるほどになっています。
年功序列を廃止するとともに、適材適所の人事を行い、一人何役も
こなす体制づくりをしています。
加えて、地方交付税の減少、人口減少に中で、縮小という道を進む自治体が多い中にあって、
第3セクターとして株式会社ふるさと海士を設立し、CASシステムによる海士で取れる農産物・
魚などを特殊冷凍して、島外に販売するなど、積極的に自立への予算獲得に向けた事業にも
着手しています。
あったかい大きな笑顔の奥には、冷静な判断と大胆な戦略が詰まっているようです。
関満博教授との息もぴったりとあい、戦う離島の象徴となりつつあります。
燃える人も、今後も海士に入っていきますのでよろしくお願いします。
あわせて、深田恭一助役、大江和彦地産地商課長、吉元操財政課長、青山富寿生交流促進課長
等 海士町役場の皆様に大変お世話になりました。ありがとうございます。
2006年09月05日
トキョーガールズ コレクション
9月3日 娘につれられて代々木体育館で開催された「 Tokyo Girls Collection」 に行ってきた。すごいですね。東京はファッションの中心で、流行はここから生まれるのかという感じでした。
赤文字系といわれる女性ファッション雑誌で人気のモデル達が総勢60人もあつまり、日本ブランドに身を包み、フアッションショーを繰り返している。3時から始まり終了は夜9時。
会場には、2万人もの女の子が駆けつけ、人気モデルの流れるようなウォーキングにうっとり。声援が飛び交い、団扇が揺れている。手には携帯電話。これはファッションショーではあるが、モデルが着ている服を買うには、携帯サイトでアクセスして買うイベントになっている。
主催したのは、携帯サイトを運営しているベンチャー企業。
携帯とファッションとEコマースが一体となったイベントはまさに圧巻。
主役はモデルの女の子ではなく、2万人の普通の女の子。彼女らの感性が日本の服飾業界やコスメ業界を動かしているんだと実感した。
日本が世界にアピールでき、最も優位にたてるのは、こうした、コラボだとつくづく感じた一日だった。
三鷹に戻ったのは12時。時代の先端をみた一日だった。世の中は、知らないことが一杯という日だったアーツかれた!!!
実物大 しずちゃんと
2006年09月03日
シーポイント 野澤 浩樹さん来る


8月31日に、シーポイント 代表取締役 野澤 浩樹 さんが三鷹にみてくれました。
野澤さんとはこの5月にお会いして、「燃える人ブログ」に協力をいただいています。
本当にありがたいことです。心より感謝いたします。
野澤さんは、沖縄の情報発信ブログ「ティーダ」を立ち上げて以来、地域の活性化や
コミュニティを作るのに、「ブログ」という手法が役に立つということ、気づき、
地域ブログを立ち上げようと全国行脚にでています。
野澤さんの「笑顔」をみてください。この笑顔に応援されると、「やってみようかな」と
いう気になりますね。ブログという仕組みの大切ですが、その仕組みを届ける
野澤さんの魅力が一番効果があると感じた一日でした。
地域産業おこしに燃える人の会が
8月に発足していらい丁度1ヶ月がたちました。燃える人33人は各個人が一人一人
地域でまちづくりや人づくりの活動をしてきましたが、会としてもしっかりとその活動を
全国に情報発信していきたいと思っていました。
会として最初に取り組んだのが「燃える人ブログ」を立ち上げることでした。
このブログを立ち上げについて、快く私たちの「思いと情熱」に応えてくれたのが、
株式会社シーポイント 代表取締役 野澤 浩樹 さんとジェイ ・ ライン株式会社
代表取締役 野上 尚繁さんです。
私たちの「燃える人ブログ」はこの両社の協力を得て、情報発信できることになりました。
野澤さん、野上さん感謝いたします。
なんとか、ブログも三週間が過ぎ、検索エンジンでも1ページめに出てくるようになりました。
33人のうち、まだ書き手を少ないですが、今後、実力を発揮していきますので、ご期待ください。
2006年09月02日
島根県斐川町べっぴんたまねぎ

島根県斐川町 福間さんから届いた べっぴんたまねぎ

8月の産業おこしに燃える人の会で、斐川町の福間さんが、斐川町は、たまねぎが産地さんなんだよ。送るからね。という約束が、本日届きました。福間さんありがとうございます。
箱をあけたら、すごい「色もつ艶も良いたまねぎ」が顔をだしました。!!!
こんな光ったたまねぎはみたこともありません。
そこで、私はこのたまねぎを「べっぴんたまねぎ」と勝手に呼ぶことにしました。
福間さんありがとうございます。
このたまねぎは、畑から採って、小屋の軒先にひっかけて、自然乾燥しています。
ですから、すごく長持ちするのです。
もともと斐川町のある出雲地域は、つむじ風が強く「築地松に囲まれた農家」がおおく存在しています。その姿は、散居村といわれ、出雲は日本の3大、散居村の一つに選ばれています。
乾燥後、一個づつ状態をみながら、たまねぎの汚れた皮をむいていきます。そのために、斐川では、「手みがきたまねぎ」と言われています。
でも私が命名した「べっぴんたまねぎ」ののほうが、よりこの姿にあっていると思いますよ。
本日このたまねぎで、私の得意料理である「特性ハンバーグ」を作ってみました。
ハンバーグは家族からもOKがでている自信作です。
今日のハンバーグは味も甘みが出ていたようです。
このたまねぎを東京で紹介することによって、地方の農業の存続に少しでもお役にたてられればと願っています。
福間さん、今後作戦会議しましょうね。
Posted by 関幸子 at
01:54
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