2009年04月02日

東京も春爛漫

4月からブログに復帰です。
今年は頑張りますよ。

本日東京は晴れ。風が強いですが、日差しは暖か。
そのせいか、咲くのを躊躇していた、桜も開花してきました。
千代田区、竹橋の気象庁の桜もご覧のとおり、満開となりました。

靖国神社、千鳥が淵の桜並木も、満開を向かえました。
東京は、桜の名所でもあります。
お花見に来てくださいね。

icon01


  


Posted by 関幸子 at 17:34Comments(0)

2008年09月14日

北京紀行1 入国管理官の笑顔

13日の午後に北京に到着。
一緒に行くはずだった、大野さんが総裁選挙のために、急遽行かれなくなったので、初めて一人で海外へ。でも大丈夫、北京では、一橋大学の姜が出迎えてくれました。

第3北京空港は、今回のオリンピックのために作られた新しい空港で、ガラス張りで、太陽が振り注ぐ、明るい空港です。何より驚いたのが、イミグレの担当官が笑顔で「ニイハオ」と迎えてくれたこと。
中国には何度も訪れていますが、結構この入国は緊張が付きまとっています。今回は嬉しい驚き、さらに、記入ミスにも、笑顔で教えてくれるという、親切さ。
手前には、担当官の態度を評価する、4段階の手押しのボタンがあって、もちろん、一番評価の良い「笑顔」ボタンを押してきました。

空港から市内に入ってもパラリンピック開催中の北京は、未だオリンピック一色です。フラッグ、看板もオリンピック専用のものだけで、商業用看板もゼロという徹底振り。空気もかなり澄んでいて、青空も見えて、姜さん曰く、9月が最もすごしやすいとか。
さあ、北京散策へ。
  


Posted by 関幸子 at 10:39Comments(0)

2008年01月21日

AKIBA SMILE

新年あけましておめでとうございます。

既に1月も20日を過ぎていますので、新春でもありませんが今年もよろしくお願いします。

さて、地域産業おこしに燃える人の会にはだいぶご無沙汰してしまいましたが、やっとこのブログに戻ってまいりました。
最近の状況を少し、ご報告いたします。!!

face01 秋葉原タウンマネジメント株式会社が平成19年12月10日に設立されました。このTMOは、秋葉原地域の街の課題を解決する事業と街の資源を生かして新しい産業を生み出す事業、観光事業を実施していきます。

face0112月22日には、「AKIBA SMILE」事業として、秋葉原をきれいにする清掃事業を実施しました。
1月19日からは、毎週土曜日午後1じから、アキバで清掃活動を継続していきますので、アキバに関心のある方はぜひ、ご参加ください。
一橋大学の 関 満博ゼミ生が、たくさん応援してくれました。ありがとうございます。




こんな感じで、今年は地域産業おこしに燃える人ブログ書いていきます。
ご期待くださいませ。
  


Posted by 関幸子 at 16:16Comments(0)

2007年12月18日

AKIBA SMILE プロジェクトのお知らせ

12月10日に設立いたしました、秋葉原タウンマネジメント株式会社(アキバTMO)の
キックオフイベントとして秋葉原の街のお掃除&パトロールを行ないますface02

日時:平成19年12月22日(土曜日)正午12時から2時
集合場所:秋葉原電気街口 西側広場 秋葉原ダイビル付近です。

詳しくはこちらのHPをご覧くださいface02
http://smile.akibatmo.jp

是非ぜひicon12皆様お誘い合わせの上ご参加くださいicon12
皆様のお越しを心よりお待ちしていますicon06  


Posted by 関幸子 at 15:10Comments(0)

2007年04月26日

地域活性化 伝道師

icon06ブログに復帰しました。

あーー久しぶりにこのブログに書き込みができて嬉しいです。
また、様々 カキコしますので、よろしくお願いしますね。

地域活性化伝道師 が 動きだしました。
地域産業おこしに燃える人の中でも、10人程度がこの内閣府の地域活性化伝道師に選定されています。燃える人の選定もそうですが、今、日本を動かし、魅力的にするには、「人の思い」が大切です。


燃える人でも伝道師でも、できる人ができるところで、活動し動いていくことが大切です。


北海道で、大分県グリーンツーリズム研究会会長の宮田 静一さん、SOHOしずおかの小出 宗昭さんがご一緒しました。




  


Posted by 関幸子 at 12:25Comments(2)まちづくり

2007年01月27日

沖縄で実現するアクティブライフ



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沖縄ってきくとわくわくしませんか。
沖縄の海は、本当にすばらしいですよね。

私は、高校時代から海が大好きで、神津島、新島、大島など
高校時代に良く遊びにいっていました。
高校の同級生の家が神津島で民宿(今もこの言葉は生きているのでしょうか。)を
経営していたので、クラスの仲間で良く遊びに行っていたものです。

子育て時代は、宮古島、石垣島、サイパン、グアム、ハワイの浜辺を楽しみましたが、
やっぱり沖縄、石垣の川平湾、しくじビーチの美しさは、世界一だと感じています。
(それ以外は行ったことがないので)
また、石垣を訪ねてみたい!!と思っています。
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最近は沖縄とのご縁はやっぱり人ですね。
燃える人の 洲鎌さんをはじめとして、多くの知り合いができました。
会いたい人がいると、行って見たいじゃないですか。

昨年の一月に燃える人の仕事で沖縄に呼んでいただいた折に、
三鷹と沖縄を結んだ事業をやりたいよね。と言っていたのですが
とうとう実現しました。

本日、三鷹で「沖縄で実現するアクティブライフ」交流会が開催されました。
沖縄に住んでみたい人、沖縄で働きたい人、沖縄が好きなひと、沖縄にあこがれている人
のために、沖縄の企業、研究会、沖縄人が三鷹にきてくれました。

沖縄がそっくり三鷹きたぞ・・・・・という感じです。
沖縄に移住した松下武さん、大堀 美智雄さん、が沖縄移住の楽しさや課題を自らのこととして
話しをしました。
宜保 文雄さんが、沖縄での生活費、風習、しきたりなどを話しました。
家は、名護で2LDKで7万円、少し田舎では5万円程度だそうです。
石垣だと土地1坪10万円するくらいバブル!が発生している。信用のある業者を選ぶことなど
移住のヒントをくれました。

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三鷹での交流会はやく150人が参加し、沖縄への関心が高いことを証明しました。
団塊世代はやはり、東京という小さな器だけでは生きていけないでしょう。
自分の居場所を探しています。
沖縄だけでなく、全国で様々なしかけをすれば、彼らも私たちもどこにでも
いきます。地域再生のきっかけとして、定住政策は今、旬を迎えています。

icon01沖縄定住・就職の問い合わせ
沖縄県中小企業家同友会 ℡098-859-0667  


Posted by 関幸子 at 16:23Comments(2)

2007年01月27日

20歳のパワー

今年の成人式は、いつもより早く1月8日に全国の市町村で開催されました。
三鷹市でも、約2000人の若者が20歳を迎えました。10年前の成人式は結構j荒れたものですが、
今年の三鷹の成人式は穏やかなものでした。女性は相変わらず振袖姿が多くなっています。男性も1割が羽織袴姿でしょうか。男性の背広もなkなか決まっています。
そんな中で、ひときわ目立つお嬢様がいました。
金髪にテイアラ、お姫様ドレス、胸にはキスマーク付きき。ワーかっこいい!!! すぐに飛んで行って、写真を撮らせてもらいました。

ドレスどこで買ったのと聞いたら、
「自分で作ったんです。」
「エーッ」
「新宿にある文化服装学院でデザインの勉強しているんです。」 

生地は、ゴブラン織りで、デザインはオリジナル。フランス王朝時代のスカートが大きく膨らんだデザインで、よく似合っていました。菅原静香さんの晴れ姿をご覧ください。

菅原さんの姿は、20の若さとパワーを感じました。
若いってすばらしい。日本の若者は結構しっかりしているんだと実感しました。

  


Posted by 関幸子 at 15:19Comments(0)まちづくり

2006年12月15日

SOHO@しずおか、やっと訪問

icon01やっとSOHO@しずおかにを訪ねることができました。
1997年に三鷹市がSOHO CITY みたか構想を掲げ、日本で最初のSOHOインキュベーション「SOHOパイロットオフイス」を整備したのが1999年の12月でした。パイロットオフイスは4~10㎡という小さなユニットと会議室、受付、そしてインキュベーションマネジャーが常駐する という仕組みでスタートしました。三鷹をはじめとして、全国に数百ものインキュベーション施設が整備されましたが、このSOHO@しずおかは、その中でも最も成功しているインキュベーション施設として有名です。


SOHO@しずおか で微笑む小出氏


icon01小出さん、大橋とともに 後ろの壁には、新聞や雑誌の切抜きが所狭しと貼ってある。


SOHO@しずおかの扉をはいった途端に、「あっ、いきてるな」と感じました。人の「気」がある、居心地の良い空間だと感じます。この仕事を8年もやっているので、その場に入った瞬間、施設が生き・動いているか、すぐに分かります。さすが、しずおか!!
施設としては、入居ユニットは13、打ち合わせコーナーをいれても287㎡しかありません。この小さな施設が日本全国から注目されるのは、SOHO@しずおかの要として、動いている「小出 宗昭」氏の存在が大きい。彼のこの仕事にかける熱き思いが、ここを支配しています。
小出氏とは、数年前から様々な事業でご一緒していますが、大きな声、フットワーの良さ、おせっかいなところは、今回も健在でした。小出氏にあうと、もう一回話を聞いてみたいと思う人がほとんどでしょう。。その動きから、人脈のひろさも全国区になっていますよ。
加えて、ビジネス支援図書館として実力ある御幸町図書館、静岡市産学交流センターとの3角連携をしていて、創業相談、製品開発に厚みがついています。うらやましい限りです。
ただし、SOHO@しずおかは「静岡県中部地区SOHO推進協議会」という任意法人が運営している形であり、ビジネスの主体になれないこと、小出氏も銀行からの出向であり、個人的魅力にあまりにも依存しすぎているかもしれない。
小出氏の抜けたあとの施設運営が課題かな、とおもいますが、でも最後まで小出氏が面倒みるか。それもまた良しですね。
今回の訪問では、交流センターの大橋 良豪さん、御幸町図書館館長豊田 高広さん、オフイしょくスポーツの小旗 照美さんにお世話になりました。もちろん小出さんにも。ありがとうございました。  


Posted by 関幸子 at 00:02Comments(0)

2006年12月09日

中国は熱い①

11月に毎年恒例の深圳テクノセンターの大運動会に行ってきました。このツアーは、関満博教授が、若手経営者を中国現場につれて入り、中国の風やその熱気に触れさせる目的で行っているものです。私は今回で2回目の深圳ですが、今回もやはり中国の奥深さと、そのダイナミックさには驚かされる旅となりました。

今回の旅は、広州白雲空港から入りました。この空港が見られるからこの旅にでたようなものです。
この空港は4,000メートル級滑走路を5本整備する予定で、現在はまが2本ですが、すでに3本目を建設中です。5本のうち1本は、民間の輸送企業専用という信じられない規模です。
成田が20年以上経過しても1本しかない状況ですから、この5本の滑走路の整備は、すごい規模といえるでしょう。日本の空の足のインフラは、国際的な競争力をもたないということです。

広州空港から、1時間ほどに広州市花都(はなと)地区があります。花都は丁度20年前にできた新しい区で、自動車産業を」中心とした産業集積事業を進めています。
花都地区は約50k㎡で、山手線の内側の大きさで、最初の開発地域は17k㎡で、企業誘致ゾーンだけでなく、商業、住宅、幼稚園・病院などの生活ソーンの一緒に整備しています。
その近代的な姿は、まさに作られた近未来都市のような感じです。ホテルで分譲中のマンションのチラシをもらいましたが、200k㎡と130k㎡の広さ、ウーム、マンションも広い!!自宅のマンションと比べると規模の違いを見せ付けられたね。

花都地区には、日産、ホンダが進出しており、その一次、二次下請けも出てきています。この日系企業誘致は、区が設立した会社「花都汽車城 」が行っていますが、その中心人物が楊女史。この楊女子は、日本語がうまいだけでなく、誘致後のケアーの行き届いているとか。
今回お会いしたときは、体調が悪かったようで、元気ががありませんでした。
日本以上に実力が重視される中国。楊さんの実力はきっとすごいに違いありません。
現在は、花都汽車城の副総経理です。


icon01楊さん



icon25 花都都市計画  


Posted by 関幸子 at 01:15Comments(0)まちづくり

2006年11月11日

島根県雲南市㈱吉田ふるさと村

11月9日に島根県雲南市吉田町ある第三セクター㈱吉田ふるさと村を訪ねることができた。
今年の夏に三鷹で専務の高岡祐司さんにお会いしてから、どうしても行きたいと思っていました。

吉田ふるさと村は、22年前に、三セクでありながら、株式会社として設立されました。
まちづくり三鷹は、平成10年の中心市街地活性化法のTMOとして、制度の枠内で設立
したのですが、吉田ふるさと村は、何らの制度にもたたず、吉田村の独自判断で設立されたものです。そのお話を聞いて以来、興味がムクムクと沸いてきたのです。
1985年に、住民たちが自分たちの力で、地域を守ろう、作ろうとして設立。

社長は町長だが、スタート時の3人が、民間からやってきて、会社の土台をつくる。
会社設立から、かかわっている、専務の高岡さんがキーマン。
高岡さんが、企画や運営に長年にわたってめくばり、マネージメントしてきたことで、
吉田ふるさと村の事業は、大きくなってきている。
最初は、商品も少なく、販売に苦戦するが、地元農家の秘伝の焼肉のたれや、地元野菜と鶏肉を鍋セット、地元米のもち等、徹底的に「地元」にこだわり、無・減農薬を貫き、「安心・安全」にこだわった
商品開発を行ってきている。

最近でこそ、たまごかけごはん用の醤油「おたまなん」が爆発的に売れているが、それはひとつの現象にすぎず、あせらず、地元に答えを求めたその基本的な姿勢こそが、ヒット商品を生み出す糧であろう。



face01ヒット商品 おたまはん



高岡専務と話しをすることで、一層、この会社の経営方針が本物であると実感した。
島根県での小さな町での挑戦は、地域の自立をめざす、自治体のモデルとなると確信した。
人口j減少がもっとも著しい島根県は、県内の足元をもう一度みることによって、その対策が
見えて来ることだろう。


icon01高岡専務とあさひさん

今回は、高岡専務、多々納さんにお世話になりました。ありがとうございました。
  


Posted by 関幸子 at 00:30Comments(7)

2006年10月17日

SOHO リレーフォーラム in  しまね 

「SOHO リレーフォーラム in  しまね 」に全国から200人ものSOHOと地域産業に携わる人々が結集しました。
今から丁度3年前に、SOHO CITY みたか構想のイベントとして始まった「SOHOフェスタ」の拡大交流会として、三鷹からはじまり、旭川、広島とリレーを繋ぎ、今年は島根で開催。

テーマは「SOHOとものづくり」を結び、ビジネスチャンスを作り出していこうとするものでした。






 




基調講演をした関満博先生から「アジア・中国・IT・環境 という連立方程式という複雑な式をとかなくてはいけないと」日本のおかれた現状からみた提起がだされました。そしてこの答え出せるのは30歳代の若者であり、果敢に挑戦して欲しいというものでした。

二部には、旭川SOHO協議会代表の坂本 和士さん、三鷹SOHOクラブ代表の河瀬 謙一さん、愛知からフナハシドットコム代表の舩橋 正浩さん、大阪からJSC-日本SOHOセンター理事長の峰村 創一さん、広島SOHO’クラブ代表の牛来(ごらい)千鶴さん、そして地元島根からは、元気印島根SOHO協会会長の長谷川 陽子さんという日本を代表するSOHOの方々があつまり、地元ものづくり企業さんへの解決策を提案。
最初は、どうなるかと思っていましたが、ものづくりとSOHOは違う方向を向いているのでなく、相互に補完できるものであり、融合化することによって、ビジネス拡大になりそうだという認識がうまれました。島根ではSOHOとは何かわからないという感じでしたが、全国から来た意気の良いSOHOの皆様にお会いすることで、具体的なイメージが理解されてきたようです。
このイベントは、長谷川陽子さんを代表とする企業人の挑戦ですが、それを応援し、地域の力にしていくには、地元自治体の動きが大切です。産業の始まりは小さくて、見えないようですが、そこに気づくことが、今後のまちづくりの起爆剤になると思います。人口減少と格差社会の中で、地域経営は本当にどうしたら良いのか、答えを出せずにいます。

島根は、早くにこの連立方程式を解ける人物をさがさないと!!!


  


Posted by 関幸子 at 00:44Comments(1)

2006年09月21日

島田 勝也さんが三鷹と沖縄を結びつける



icon19沖縄基地内で、島田さんと東南植物楽園社長の大林さんとicon19


沖縄県のまちづくりのキーマンのお一人である島田 勝也さんが三鷹市を訪ねてくれました。
島田さんとは、今年の1月に沖縄でお会いして以来、沖縄と三鷹市とで何かできることをさが
していきましょうと、お話を進めてきました。

日本の高齢化は、実は都市の問題です。かつての金の卵といわれた団塊の世代が地方から
都市部に働きにきて、そjこで所帯をもち子育てし、そして定年を迎える時期となったからです。
都市は、団塊世代が大量に定年をむかえても、その受け皿や役割を果たしていただく
場やステージの準備が整っていません。地域ボランティアグループだけでなく、NPOシニア
SOHO普及サロン・三鷹のように自らが「仕事をつくりだしていく」組織を作ってはいますが、
すべての人々がその活動に参加できるものでもありません。

団塊世代の方々は、都市だけでなく、全国にその活動の場や生きがいをもとめて、動こうとしています。沖縄は日本国内でも数少ないリゾート地域であり、中高年の長期・中期の「滞在型の観光」を進めようとしています。こうした沖縄のまちづくりの方向は、丁度団塊の方々の行動にぴったりであり、
暖かな気候と長寿の食物が都市の中高年の心を捉えています。

島田さんは、沖縄でのこの長期滞在型の観光やまちづくりの方向を都市の中高年のニーズにあって
いるのかなど、そのマーケティングの動きをここ三鷹市で確かめようと研究会を立ち上げました。
今後島田さんはコーディネート力を生かして沖縄と三鷹市の架け橋の役割を果たしてくれそうです。その動きに目が離せないですね。  


Posted by 関幸子 at 00:09Comments(3)

2006年09月20日

三鷹光器は世界の企業へ



icon11中村 勝重社長とともに

9月15日に三鷹の小さな巨人「株式会社三鷹光器」の新社屋の完成祝賀会が開催されました。
会場には、国内の光学機器メーカー関係者だけでなく、ドイツ、アメリカの医療用顕微鏡メーカーのCEOがこのために来日されています。複数の方々より、祝辞が披露されましたが、「三鷹光器と一緒に仕事をすることは、私たちの誇りです」という言葉が入っていました。
会場にいた私も、本当に同じ気持ちでした。嬉しさがこみ上げてきました。

三鷹光器は、もともと三鷹天文台に勤めていた現会長(78歳)が、天文台に必要な機器の製造を
行うために設立した会社で、会長をはじめとして兄弟(男3人、女1人)が中心となっている会社です。
最初は望遠鏡を製造していましたが、宇宙工学にヒントを得て、現在では、非接触三次元測定器、脳外科用顕微鏡、高解像度立体視顕微鏡など医療用具へ主力が移ってきました。
どの製品も、中村勝重社長の「独自な発想」と精密で高度な技術に裏打ちされた製品であり、ドイツのライカとも製品のOEMを行っています。
この小さな会社に今年の四月には、天皇陛下が行幸されるなど、今では世界的なオンリーワンの企業となってきました。
ここ数年は、業績の伸びとともに工場の拡張が必要でしたが、住宅用地の中で建替えもできないでいました。三鷹市では特別用途地域指定を行い、市内の一定地域に住宅用地であっても工場の建設を可能としてきました。
こうした地域あげてのものづくりの存続支援を得て、三鷹光器の新社屋が完成しました。
これまでに10年の歳月がかかりましたが、住宅都市でのものづくりができることを三鷹市は証明したことになります。  


Posted by 関幸子 at 02:00Comments(0)ベンチャー

2006年09月13日

隠岐国海士町 山内 道雄 町長

今年の4月に燃える人の会を島根県海士町で開催することが決まりました。そうだ海士町でやりましょう。でもそれって何処なの。海士町(あまちょうと読みます。)って読めないじゃないですか。

今回行くに当たっても、自分ではルートが決められませんでした。時刻表は読めるのに、最適ルートが見出せない。そこで経済産業省の吉田 雅彦さんにつれてきてもらいました。吉田さんありがとうございます。

島根県の七類港から快速船で2時間30分、隠岐島経由で島前の菱浦港について、ここはリゾートだと直感しました。美しい! まるで葉山のような雰囲気をもっています。
離島の田舎町という私の予想を大きく裏切るものです。日本の離島への公共事業投資は、ここまでのグレードなのかと驚嘆しました。

さて、海士町でのキーマンを数回にわたり紹介していきましょう。最初に登場するのはもちろん
海士町の 山内 道雄町長です。



icon19山内町長と


山内町長は、もともと海士町出身で民間の通信会社に勤めていたことにより、行政に経営という
視点も持ち込んでいます。
自立、挑戦、交流 そして限りなき前進を掲げ、行政改革を断行中です。
最も大きな英断は自らの給料を50%もカット、その姿を見た自治体職員も
自らの給料の減額を申し入れるほどになっています。
年功序列を廃止するとともに、適材適所の人事を行い、一人何役も
こなす体制づくりをしています。
加えて、地方交付税の減少、人口減少に中で、縮小という道を進む自治体が多い中にあって、
第3セクターとして株式会社ふるさと海士を設立し、CASシステムによる海士で取れる農産物・
魚などを特殊冷凍して、島外に販売するなど、積極的に自立への予算獲得に向けた事業にも
着手しています。
あったかい大きな笑顔の奥には、冷静な判断と大胆な戦略が詰まっているようです。
関満博教授との息もぴったりとあい、戦う離島の象徴となりつつあります。
燃える人も、今後も海士に入っていきますのでよろしくお願いします。

あわせて、深田恭一助役、大江和彦地産地商課長、吉元操財政課長、青山富寿生交流促進課長  
等 海士町役場の皆様に大変お世話になりました。ありがとうございます。  


Posted by 関幸子 at 01:10Comments(2)まちづくり

2006年09月05日

トキョーガールズ コレクション




9月3日 娘につれられて代々木体育館で開催された「 Tokyo Girls Collection」 に行ってきた。すごいですね。東京はファッションの中心で、流行はここから生まれるのかという感じでした。

赤文字系といわれる女性ファッション雑誌で人気のモデル達が総勢60人もあつまり、日本ブランドに身を包み、フアッションショーを繰り返している。3時から始まり終了は夜9時。

会場には、2万人もの女の子が駆けつけ、人気モデルの流れるようなウォーキングにうっとり。声援が飛び交い、団扇が揺れている。手には携帯電話。これはファッションショーではあるが、モデルが着ている服を買うには、携帯サイトでアクセスして買うイベントになっている。

主催したのは、携帯サイトを運営しているベンチャー企業。
携帯とファッションとEコマースが一体となったイベントはまさに圧巻。
主役はモデルの女の子ではなく、2万人の普通の女の子。彼女らの感性が日本の服飾業界やコスメ業界を動かしているんだと実感した。

日本が世界にアピールでき、最も優位にたてるのは、こうした、コラボだとつくづく感じた一日だった。
三鷹に戻ったのは12時。時代の先端をみた一日だった。世の中は、知らないことが一杯という日だったアーツかれた!!!







実物大 しずちゃんと




  


Posted by 関幸子 at 01:26Comments(1)まちづくり

2006年09月03日

シーポイント 野澤 浩樹さん来る



icon19株式会社シーポイント 代表取締役 野澤 浩樹 さん


8月31日に、シーポイント 代表取締役 野澤 浩樹 さんが三鷹にみてくれました。
野澤さんとはこの5月にお会いして、「燃える人ブログ」に協力をいただいています。
本当にありがたいことです。心より感謝いたします。

野澤さんは、沖縄の情報発信ブログ「ティーダ」を立ち上げて以来、地域の活性化や
コミュニティを作るのに、「ブログ」という手法が役に立つということ、気づき、
地域ブログを立ち上げようと全国行脚にでています。
野澤さんの「笑顔」をみてください。この笑顔に応援されると、「やってみようかな」と
いう気になりますね。ブログという仕組みの大切ですが、その仕組みを届ける
野澤さんの魅力が一番効果があると感じた一日でした。

地域産業おこしに燃える人の会
8月に発足していらい丁度1ヶ月がたちました。燃える人33人は各個人が一人一人
地域でまちづくりや人づくりの活動をしてきましたが、会としてもしっかりとその活動を
全国に情報発信していきたいと思っていました。

会として最初に取り組んだのが「燃える人ブログ」を立ち上げることでした。
このブログを立ち上げについて、快く私たちの「思いと情熱」に応えてくれたのが、
株式会社シーポイント 代表取締役 野澤 浩樹 さんとジェイ ・ ライン株式会社 
代表取締役 野上 尚繁さんです。

私たちの「燃える人ブログ」はこの両社の協力を得て、情報発信できることになりました。
野澤さん、野上さん感謝いたします。
なんとか、ブログも三週間が過ぎ、検索エンジンでも1ページめに出てくるようになりました。
33人のうち、まだ書き手を少ないですが、今後、実力を発揮していきますので、ご期待ください。


  


Posted by 関幸子 at 00:42Comments(3)まちづくり

2006年09月02日

島根県斐川町べっぴんたまねぎ



島根県斐川町 福間さんから届いた べっぴんたまねぎicon27


8月の産業おこしに燃える人の会で、斐川町の福間さんが、斐川町は、たまねぎが産地さんなんだよ。送るからね。という約束が、本日届きました。福間さんありがとうございます。

箱をあけたら、すごい「色もつ艶も良いたまねぎ」が顔をだしました。!!!
こんな光ったたまねぎはみたこともありません。
そこで、私はこのたまねぎを「べっぴんたまねぎ」と勝手に呼ぶことにしました。
福間さんありがとうございます。


このたまねぎは、畑から採って、小屋の軒先にひっかけて、自然乾燥しています。
ですから、すごく長持ちするのです。
もともと斐川町のある出雲地域は、つむじ風が強く「築地松に囲まれた農家」がおおく存在しています。その姿は、散居村といわれ、出雲は日本の3大、散居村の一つに選ばれています。
乾燥後、一個づつ状態をみながら、たまねぎの汚れた皮をむいていきます。そのために、斐川では、「手みがきたまねぎ」と言われています。

でも私が命名した「べっぴんたまねぎ」ののほうが、よりこの姿にあっていると思いますよ。

本日このたまねぎで、私の得意料理である「特性ハンバーグ」を作ってみました。
ハンバーグは家族からもOKがでている自信作です。
今日のハンバーグは味も甘みが出ていたようです。

このたまねぎを東京で紹介することによって、地方の農業の存続に少しでもお役にたてられればと願っています。

福間さん、今後作戦会議しましょうね。
  


Posted by 関幸子 at 01:54Comments(1)

2006年08月29日

上海2006年8月

本日まで上海に行ってきました。
今年は3日間でしたが、2006年の夏の上海はやはり暑く湿度も厳しいものがありましたが、また大いに刺激を受けてきました。



範 建亭さんと蔡さんのご夫婦とともに IN 上海




上海市庁前にて



今回の旅では、上海財経大学国際工商管理学院の助教授である範 建亭さんと蔡さんのご夫婦が、待っていてくれました。範さんは、一橋大学の大学院に学び、地域産業政策の第一人者である関満博教授に師事し、4年前に上海にもどり大学で指導されています。お二人とも日本の国立市に4年半、生活していたので、日本通でもあり日本好きで、日本のことを良く理解してくれています。
もちろん日本語も、ばっちりできます。

奥様である蔡さんは、日本人以上におしとやかで、日本的女性です。今年の1月から、日経企業をやめて、中国ではめずらしい専業主婦をされているとか。でも、仕事をしない女性はめずらしいので、お友達ができないのが悩みとか・・・それぞれ、就労環境は、相当なちがいがあうようです。
なんと中国には、アルバイトやパートタイムがないということです。なんと基本は、週5日就労の正社員だということです。そのために、週3日できる仕事を探しても見つからないとか。

その代わり、解雇あたりまえ、仕事を移ることは日常的に行われているということです。
雇用の流動化はあっても、常に社員という待遇は、保健や年金が家族ではなく、個人単位であり、扶養控除はなく、女性でも仕事するのは当たり前という制度が前提です。
日本では、若者がアルバイトやパートでの就職しかないことでニートの発生率がたかいことは、今後の日本の人材育成では、大きな問題を残すことにりそうです。
また、主婦の扶養控除や年金、など家族単位での社会保障制度から基本を個人におく制度への移行など大きな制度改革が必要かもしれません。

上海では、デパートやレストランでのサービスが格段によくなっています。以前のデパートでの接客は、「売ってやる」という雰囲気がありましたが、今ではお客様という実感がわいてきます。南京路の入り口にある新世界デパートも10年前とは別世界。きれいだし、センスある洋服も多かったです。その分価格も上がっています。1元=14.6円、昨年から2円程度上がっています。ですから、買物をしていても、商品の値上がり感が強く感じました。日本と同じぐらいの価格感覚です。
また、ブランド品は関税が100%近くあり、高いですね。
日本の化粧品も高い価格ですが、結構若い女性が買っていきます。上海での高額所得者やアッパー層の厚みが感じられます。範さんがいうには、もっと物価があがるということで、日本企業中国での位置づけが、生産地から市場としての位置づけへと転換する日も近いと感じました。
また、上海を訪ねたいですね。本当にエネルギッシュで刺激を感じました。  


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2006年08月23日

本下さんNYよりきたる


icon06大野さんと本下さんicon06

本下さんはこの3月にNYを訪れた時にお世話になった方で、
私から見ると不思議な魅力にあふれています。
もとは大阪のテレビ局で仕事をされ、在籍中に
NY大学で映像とITを学びその後NYで独立されました。
本下さんの会社はいまや、アメリカでロケをしたい時、NYへの企業進出、
自治体の物産展の駆け込み寺となっています。ともかく何か困ったら、
「本下だのみ」とも言うべき存在になっています。
最近では、サッカーの中田英寿がNYで購入したビルを探して映像にしたり、
島根県の和菓子をNYに売る込みを支援したりと様々コーディネートしています。

その本下さんが、NYより東京に戻ってきたので、久しぶりにお食事をしました。
今回は、日本で新たな仕事をしかり仕込むことが任務のようです。
きっとまた、日本とアメリカの架け橋の仕事をしてくれることと思います。

この本下さんを囲んで、NYご一緒したSOHO CITY みたか構想会長の前田隆正さん、
本下さんとは同じ電気通信大学のOB同士です。それとわが親友の大野さん、
そして本日は、長野県飯田市から日本のまちづくりの第一線活躍中の粂原さん、
そして我息子の林和馬が参加し、にぎやかな宴となりました。
こうした友情が、新しい何かを生むことになると信じています。
本下さん、今後とも新鮮な風をNYから運んで来てくださいね。  


Posted by 関幸子 at 00:33Comments(0)まちづくり

2006年08月22日

中心市街地活性化法の改正

今年の6月に中心市街地活性化法を含めてまちづくり3法が改正されたのはご存知だろうか。
まちづくり3法とは、いわゆる都市計画法、中心市街地活性化法、大規模小売店舗立地法(大店立地法)の3つの法律の総称である。このうち平成18年6月に都市計画法と中心市街地活性化法の改正が行われた。都市計画法改正では床面積1万平方メートル超の大規模集客施設の郊外への出店を大幅に規制し、「第2種住居」「準住居」「工業地域」には原則として出店ができなくなった。また中心市街地活性化法改正では、都市機能の集約と中心市街地の再生に意欲的な自治体を積極的に支援することにしている。この両法律の狙いは、大型店舗の郊外出店を規制して、市街地における中心商店街の衰退を食い止めようとしていることにある。
旧法と改正法での違いはどこにあるのだろう。
 旧法の中心市街地活性化法では、国は法の施行によってその基本方針を示すことに止まり、地域の推進役として、基礎自治体を位置づけそのイニシアティブを最大限発揮できるようにした画期的な法律である。
各自治体がそれぞれ、独自に中心市街地活性化エリアの範囲選択、エリア内で実施する事業を中心市街地活性化基本計画とし策定し公表すればよかった。計画自体に国や都道府県の許可や認可を一切必要としておらず、自治体の自治権が保障されていとことになる。もちろん、基本計画の策定も義務ではなく、地域の自主性に任されていた。
 実際の事業主体であるまちづくり機関=TMOについても、新たに自治体が4%以上を出資する条件において(高度化事業計画を実施する場合には二分の一以上の出資)特定株式会社の設立も可能であり、既存の商工会議所、商工会、財団法人等をTMOとし位置づけることが可能で、地域特性を反映し選択できるようになっていた。
 事業メニューにおいても、従来型といわれる建設面積や導入機能が限定されておらず、自治体の自主性に委ねられており、特に、地価の高い都市部にて、施設基盤整備とサービズ産業重視型機能導入を前提とし、運営を一体的に支援されるスキームがこれまでのなかった面から見れば、中心市街地活性化方法は国が意図したことではないが、実は都市部の自治体にとって、最も有効な事業スキームになっていた。いわば国の英知を傾け、自治体の自立を促し、自らの選択と行動にて事業実施できる権利と体制を法律で保証したのである。
 
しかしながら、この旧法の本質を見抜けた自治体は少なかったといえるだろう。それは、数々の中心市街地活性化法における事業検証報告書が指摘し、統計上からも数字の増加は見込めなかったのである。

その原因となるのは、
(1)中心市街地活性化方法への理解が不十分であった。
法律体系が複雑でること、手続きが煩雑であることで、自治体として取り組もうとい
う意欲が沸かなかった。中心市街地活性化法への認知と理解のための勉強と調査をお怠った。
また8省の総合メニューに魅力を感じなかった。

(2)中心市街地活性化方法は商業活性化のみという幻想があった。
ある意味、中心市街地活性化法では、駅前商店街の支援が中心としてPRされており、他の省庁の
支援メニューへの関心が薄れ、商業以外の施策が可能にみえなかった。
国の制度をそのまま読んだに過ぎず、各自治体でやるべき事業、やりたい事業に制度を
どう活用するのかという視点がない。相変わらず、国の言うとおり待ちの姿勢であり、
条件があわなければ手を挙げない実施しないと諦めている。

(3)事業主体となるTMOのまちづくり機関においても、商工会議所を選択した自治体も多く、会議所のスタッフがTMO兼任するなど、専任スタッフ、開発・経営能力不足がはじめから指摘されてきた。特に、TMOの独立採算で自立した経営には、民間企業の会社経営能力が不可欠であることや事業企画力は、TMOの生死にかかわるが、売上げを確保し黒字化できる事業立案できる能力は、民間機関の支援が必須だった。TMOの要は人材と英知である。

 自治体は中心市街地活性化基本計画を策定したのち、TMOにはやるべき機関を選定したのではなく、選定可能な機関にその業務を押し付けたところが多かった。もともと経済産業省は中心市街地活性化法で、会員数減少で沈滞気味の商工会議所と商工会の活性化推進という思惑が働き、TMOとして位置づけ他ことは明白である。
 商工会議所はいわば互助組織であり採算型の事業主体になるには、もともと力不足であり、地元機関の実力も把握できておらず、事業は最初から失敗が予測された。

 改正法では、支援制度の拡充の名の下に、内閣に内閣総理大臣を本部長とする「中心市街地活性化本部」を創設し、やる気のある自治体を選別し、そこに集中して支援を行うこととなろう。
それは、いわば、一方で自治体の切捨てを意味し、一方では意欲的な自治体の動きを早めることになろう。
全国の自治体は、この改正での政策転換を正確に把握することが最も重要となろう。黙ってみているのか。上手に利用していくのか。自治体の責務はさらに重く、拡大したことになる。市民やNPO,民間企業においては、こうした政府による政策転換を見逃さずに、しっかりと監視し、また自治体とともに連携して地域経営に乗り出さねばならぬ。
 改正による自治体の取り組みは始まったばかりで その成果は今後10年の自治体での取り組みにかかっている。旧法での失敗のてつを踏まず、自治体はしたたかに、しなやかに動き出さねばならない。その責務は重い。  


Posted by 関幸子 at 00:56Comments(0)まちづくり