2006年11月11日

島根県雲南市㈱吉田ふるさと村

11月9日に島根県雲南市吉田町ある第三セクター㈱吉田ふるさと村を訪ねることができた。
今年の夏に三鷹で専務の高岡祐司さんにお会いしてから、どうしても行きたいと思っていました。

吉田ふるさと村は、22年前に、三セクでありながら、株式会社として設立されました。
まちづくり三鷹は、平成10年の中心市街地活性化法のTMOとして、制度の枠内で設立
したのですが、吉田ふるさと村は、何らの制度にもたたず、吉田村の独自判断で設立されたものです。そのお話を聞いて以来、興味がムクムクと沸いてきたのです。
1985年に、住民たちが自分たちの力で、地域を守ろう、作ろうとして設立。

社長は町長だが、スタート時の3人が、民間からやってきて、会社の土台をつくる。
会社設立から、かかわっている、専務の高岡さんがキーマン。
高岡さんが、企画や運営に長年にわたってめくばり、マネージメントしてきたことで、
吉田ふるさと村の事業は、大きくなってきている。
最初は、商品も少なく、販売に苦戦するが、地元農家の秘伝の焼肉のたれや、地元野菜と鶏肉を鍋セット、地元米のもち等、徹底的に「地元」にこだわり、無・減農薬を貫き、「安心・安全」にこだわった
商品開発を行ってきている。

最近でこそ、たまごかけごはん用の醤油「おたまなん」が爆発的に売れているが、それはひとつの現象にすぎず、あせらず、地元に答えを求めたその基本的な姿勢こそが、ヒット商品を生み出す糧であろう。

島根県雲南市㈱吉田ふるさと村

face01ヒット商品 おたまはん



高岡専務と話しをすることで、一層、この会社の経営方針が本物であると実感した。
島根県での小さな町での挑戦は、地域の自立をめざす、自治体のモデルとなると確信した。
人口j減少がもっとも著しい島根県は、県内の足元をもう一度みることによって、その対策が
見えて来ることだろう。
島根県雲南市㈱吉田ふるさと村

icon01高岡専務とあさひさん

今回は、高岡専務、多々納さんにお世話になりました。ありがとうございました。



Posted by 関幸子 at 00:30│Comments(7)
この記事へのコメント

このたびは、お忙しい時間を割いて当地「よしだむら」にお越し頂き本当にありがとうございました。m(__)m
10月始めにお会いしたときと同様、今回も、関さんにお会いするたびに元気をもらっているような気がします。
今回のように長時間ご一緒させて頂く機会はそう無いかもしれませんが、僕に頂いたたくさんの言葉は、貴重な財産にしなくては!と思っています。
これからも何かにつけてコンタクトをとらせて頂こうと思っていますので、ご指導ご鞭撻、叱咤激励をお願いいたします。^^
Posted by 多々納 at 2006年11月11日 23:46

多々納様

無事東京に戻ってきました。
生まれてはじめて、たたらの火入れ式もみることができ、本当に実りある旅になりました。一番の収穫は、高岡さん、多々納さん等の吉田ふるさと村の皆様が、地元にしっかりと腰を据えて、自分達の目線で自らが出来ることに取り組んで姿に出会えたことです。今後、吉田ふるさと村には、多くの島根の自治体が訪れることでしょう。なぜなら、皆さんが、島根の将来だからです。
また、お会いしましょう。
Posted by さちさん at 2006年11月12日 01:29

先日は、はるばる弊社へ足をお運びいただきありがとうございました。むら中を連れ回し、さぞやお疲れだったことでしょう。限られた時間で、なんとか「よしだむら」の良いところをご紹介したいと、ついついハードスケジュールになってしまいました。お許し下さい。
弊社もこれからの課題が山積です。その課題を解決していくのは、若者の力。むらの人口は少ないのですが、弊社には将来性のある若者が育っています。楽しみにしていて下さい。
今後とも、ご指導、ご協力のほど、よろしくお願いします。
Posted by 高岡裕司 at 2006年11月13日 13:42

先日は、はるばる弊社へ足をお運びいただきありがとうございました。むら中を連れ回し、さぞやお疲れだったことでしょう。限られた時間で、なんとか「よしだむら」の良いところをご紹介したいと、ついついハードスケジュールになってしまいました。お許し下さい。
弊社もこれからの課題が山積です。その課題を解決していくのは、若者の力。むらの人口は少ないのですが、弊社には将来性のある若者が育っています。楽しみにしていて下さい。
今後とも、ご指導、ご協力のほど、よろしくお願いします。
Posted by 高岡裕司 at 2006年11月13日 13:43

そういえば司馬遼太郎氏が「街道を行く(砂鉄の道)」を取材しているとき、たたら製鉄の神といわれる金屋子神社(島根県安来市)を参拝したのだが、この神社の風情が中世的であることを残念がっていた。スサノオ神話より想定される古代鉄鋼の古さとでその手がかりを、掴みたかったのかもしれない。地元のものが「ここは戦国時代、尼子と毛利の激戦があって古いものが多く消失した。」との説明に少し残念そうにしていたと日立金属のかたから伺ったことがある。
しかし、最近この地域で弥生時代の鉄器が多数発掘されその量も北九州に準ずるものだという。その時代は実は大和は鉄器がほとんど発掘されておらず、山陰出雲がいかに先端地域だったかをうかがわせる話で生きていれば司馬遼太郎氏もさぞ喜んだことだろうと思われます。
Posted by 木村勇次 at 2008年12月16日 21:48

しかし、安来は興味深いところですよね。「坂の上の雲」関係で日露戦争のことを調べているのですが、出雲風土記に安来ことが載っていて、出雲四大神の一柱野城大神がまつられていたとか。司馬遼太郎はこの神を部族神とした子孫があの有名な乃木大将だと指摘しています。
Posted by 神代の地 at 2009年11月29日 12:53

 鳥取県の白兎海岸での白ウサギの話のあと、オオクニヌシの神は、八十神にいじめられたあたりが鳥取県南部町の赤猪岩神社だとのこと。その後、根之堅洲国と言われる島根県の安来の須賀神社あたりでスサノオの神の試練をうけ、黄泉比良坂のある松江市の揖夜神社あたりをとおり、出雲大社に向かったという。こういったオオクニヌシの神の移動経路をつたった観光ルートも一興だと思います。
Posted by 山陰出雲古代ロマン人 at 2011年12月16日 21:47
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