2009年06月20日

らくだ銀座

18日の金曜日。この日、人生って、そして映画って素晴らしいと感じた一日となった。旅にだした息子が大きく立派になって戻ってきたかのような日となったからである。

さかのぼる事6年前、2003年11月1日に三鷹産業プラザで1本の映画が上映された。その名は「らくだ銀座」。
監督である林弘樹さんと脚本家の栗山崇大さんが、「商店街」を題材にして映画を撮りたいと三鷹市の商店街に持ち込んだ。その当時の三鷹商工会理事の池田さんが、二人の情熱にほれ込んで、商店街、商工会、そして三鷹市役所を説得し応援を取り付けた。同じように福島県北白川地域でも応援団が結成され、その二つの地域を中心に撮影が開始され、そして完成。

当時私は、まちづくり三鷹で撮影に必要な人の紹介や会場提供をした。そして1日の上映会の時の熱気を今でも鮮明に覚えている。
会場を埋め尽くした三鷹の商店街や市民の顔には、達成感と大きな喜びに包まれていた。
しかし、その後、この映画のことをすっかり忘れていた。

しかし、人生は素晴らしい出会いをプレゼントしてくれる。
5月に秋葉原で林監督と再会。「関さん、らくだ銀座のメイキング映画の上映会があるからきてください」という。
そして18日「笑えれば」の上映。このメイキング映画は「らくだ銀座」の企画段階から、林監督、栗山氏ことクリリンの苦悩と挫折、そして、2地域の応援団の姿を捉えている。その映像を見て、こんなにも苦労した作品だったんだと初めて知ったのである。
笑えればとは、クリリンが、映画が完成したときに皆と笑える自分でありたい、だから、脚本を描く事を逃げない という覚悟を語った時の言葉。 なぜ、嗤えればなのか  ・・・納得である。

「らくだ銀座」は三鷹市を始めとして、この6年間もの間、全国の商店街を回り上映されただけでなく、海外招聘作品としても海外で上映され、大きく成長していった。
映画に関わった三鷹市の関係者も、地域が生み出した「らくだ銀座」が大きく皆に愛されていたことを知らないだろう。
そしてこの作品の成功によって、林監督も脚本家栗山氏も、映画界の新星となり大きな期待が寄せられている。

大きくなって戻ってきた息子達にあえた喜びの日に感謝・感謝!!


      林 弘樹監督とともに



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