2016年11月10日

地方創生 長井市

2014年の12月に「まち・人・しごと創生法」が制定されてから役2男が立とうとしています。2016年の3月には、ほとんどの自治体で、人口ビジョンと地方版総合戦略が策定されています。
人口ビジョンは、地域の人口動態、若者の流出などを見据えて、2040年までの、各地域での人口分析をして、人口の目標値を定めたものです。
総合戦略は、①地域でし仕事を創る。②若者の地域への流れを創る。③若い世代の就労、結婚、出産、子育ての希望を叶える。④広域的な地域何連携を図る ための具体的な事業を定めたもので、各事業ごとにKPIが設定されている。
今年度は、いわば戦略から実践の年を迎えている。

11月4日に山形県長井市で地方創生「長井の新たな魅力発信を考えるシンポジウム」が開かられた。テーマは、市民が強力なメディアになる。である。

長井市をご存知の方は東京で何人いるだろうか。聞いたこともない、という人がホトンであろう。ところが長井市は、最上川の舟運の最終地として、江戸時代から「山の港町」として、栄。山形県南部の置賜郡の中止として栄えてきた。長井からは、大豆や米、生糸が北前船で上方に運ばれ、上方からは、塩、小間物、着物が運ばれてきた。長井市内を歩くと往時の繁栄を忍ばせる商家と蔵がたくさんの残っている。同時に置賜郡当時の洋館建築物も残っている。

長井という地名は「水が集まるところを意味し、市内には多くの水路が流れ、水の音が聞こえる町である。大正時代にはこの水の良さを求めて、郡是(グンセ)製糸が立地し、その後に東芝などの電子産業が集積して、製造業の町として発展してきた。しかし、2000年ごろから、工場の海外移転が続き、経済が低迷し、人口減少が始まっている。

この長井の地方創生での戦略は2つである。
一つは、足元の強化。これは、江戸時代の商家、明治以降の洋館、水路等の景観など、これまでの歴史的なストックを生かした観光事業。
これによって、外部からの交流人口増を狙う。

もう一つが新たな産業の育成。タスホテル内にインキュベーション施設を開設。創業の機運を高めている。加えて、昭和8年に建設された長井小学校、国の有形文化財を生かして、ブックカフェやエザイナーショップなどの商業交流施設へとリノベーションを図る。


【昭和8年に建築された長井小学校】
  


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2015年03月10日

震災から4年 独自の復興を進める石巻市と南三陸町

東日本大震災で犠牲になられた皆様には心よりご冥福をお祈りいたします。
 
3月11日を迎え、東日本大震災から4年という時間が流れた。この4年間、被災地では、震災復興計画のもとに、それぞれ特有の復興への道筋を描いてきた。私は、2011年8月に震災復興ワークスを設立し、被災した地方自治体の復興への企画、政策立案、具体的事業へ支援を続けてきた。その中で、宮城県石巻市と南三陸町は隣接する自治体ではあるが、復興への道筋ではまったく異なる戦略を取っている。その自治体の現状から見える復興の姿をご報告したい。

1 「中心市街地活性化」と「地域包括支援センター」を軸とした石巻市
 石巻市は、今回の震災で最も犠牲者を多く出した自治体であり、全壊の住宅戸数、漁港、漁業関連の被害総額が最も大きかった。平成の合併で面積が広がったため被害も大きく、特に牡鹿半島、雄勝半島など旧自治体の被害が甚大で、復興へのかじ取りが本当に厳しい自治体となっている。
 石巻市の復興への特徴は、自治体では地域包括ケアを土台とした「安心して住める仕組み」を構築することと、民間の企業や地元土地所有者が進める民間型再開発事業による「民の力」の連携だろう。
亀山紘市長は、人口減少と店舗被害も大きいJR石巻駅前の中心市街地に、店舗の建て替えなどを進める中心市街地活性化計画を策定するとともに、被災して全壊した市立石巻病院を石巻駅前に再建し、地域包括支援センターとなる「ささえあい」センターを隣接して整備する。石巻市では、病院とささえあいセンターを中心に、市民が健康状態を長く保持できるように予防検診、病気になった場合には診察、退院後のケア、介護等「人」を中心とした継続して連携する切れ目のないケアである「包括支援」の体制を整えている。
2012年には、地域医療で先駆的な長野県の佐久総合病院から、地域医療の専門ドクターを迎え、仮設住宅の一隅に「地域医療センター」を開設し、着々と準備を進めている。
復興の戦略は、漁業分野の復興はもちろんのことだが、市民が年老いても長く市内で安心して暮らせる「包括支援体制」により人口減少を少しでも食い止めようとしている。
市立石巻病院は、三陸海岸沿いで最も大規模で高度医療病院として生まれ変わり、ここに従事する医者、看護師、栄養士、保健士などの専門人材は、医療体制の専門家であると同時に石巻市民としても、地域コミュニティや教育への貴重な人材となることは間違いない。ある意味、病院や福祉、介護は今後も大きな地域雇用の受け皿であり、石巻市の産業のエンジンの役割を担うこととなろう。
一方、被災地で唯一、民間型の再開発事業がいくつも進んでいる。中心市街地エリアでは、地権者が共同して組合を立ち上げ、復興住宅、介護センター、店舗、業務床等を組み合わせた再開発事業が具体的に動き出している。加えて、石巻市の水産のランドマークとなる生鮮マーケットの運営も民間が主体となる。こうした共同化や民営化への動きは、石巻商工会議所の浅野亨会頭や石巻グランドホテルの後藤宗徳社長のように地元をまとめる人材の存在が大きい。もともと地元水産加工業を中心に力のある企業が多い事や今後の町の再建に身銭を切る勇気を持った民間人の存在は、石巻の今後の発展にも希望が持てる。しかし、中心市街地に広がる空き地と駐車場をまとめて、住宅や公園、店舗などを整備するのにはまだまだ自治体と民間との連携が必要である。
地方創生が動き出す中にあって、この1月には地域再生計画に認定され、「地域包括ケア」を前提とした戦略が全国のモデルとして評価された。今後のソフト政策を中心とした復興のモデル地域として今後も支援していきたい。

2 住宅と店舗が分離したまちを目指す 南三陸町
南三陸町の防災対策庁舎は、今もその姿を残し、津波被害の大きさを語りかけている。
佐藤仁南三陸町長は、復興計画の中で被害の大きかった志津川地区を住宅建築不可となる警戒地域に指定し、防災集団移転事業を中心に高台に住宅を集め新たなまちを築く戦略を取った。いわば中心市街地を再整備する石巻市とは、正反対の戦略となっている。
現在、南三陸町の志津川地区では、高台の山を切り崩しその土を低地に運び、土地の嵩上が急ピッチで進んでいる。土地全体は11m高くなり、防潮堤の高さに匹敵する。切り崩し、平らにした高台3か所に住宅、病院、図書館などを整備する予定である。低地の嵩上した土地には、商店と水産加工所等を含めた産業用地として利活用する。現在、地元住民や視察、復興関係者で賑わっているさんさん商店街は、嵩上した土地に最も早く移転する予定である。それでも嵩上の終了が早くても来年の8月になるので、まだまだ先のことになる。さんさん商店街では移転にあたって、商店街整備と運営を一体的に進めるためのまちづくり会社を設立予定である。
そして、商店街や志津川地区にかかる橋の設計などグランドデザインを描いているのは、建築家の隈健吾氏である。グランドデザイン通りにまちの設計が進めば、被災地でも数少ない建築家が統一した姿が描いた地区になろう。ある意味それだけでもブランド化できる可能性がある。
加えて、あまり表面には出てこないが、三菱商事、三井物産、ANA等をはじめとする大企業の支援が厚いことも南三陸町の特徴である。
しかし、南三陸町のとった前例の無い住宅は上で商店が下というまちの構造については問題も見えてきている。津波からの身を守るという安心を重要視するあまり、買物や人々の暮らしという生活者の目線が置き去りになっている可能性がある。例えば、広い志津川地区には、住民がいないばかりか船宿やホテルの建築もできないために、夜間は全くの無人の地域となる。そうなると治安が悪くなり犯罪も起きやすくなる可能性が高くなるほか、万が一事故などが発生した時にも助けたり通報したりする人がいないという状況が考えられる。防犯、防災対策上、機械警備等の何かしらの警備体制や防犯カメラ、センサーなどを用いたエリアセキュリティのしくみを導入するなどの対策が必要であろう。また、高台にいる住民の足となる循環バスやコミュニティバス、買い物タクシー等の交通手段の整備も不可欠である。加えて、住民と離れた商店街の在り方も、復興時期の視察や工事関係者がいなくなる数年後の経営も心配される。
南三陸町の、住宅と商業分離のまちづくりはある意味、実験都市としての経営を長くに見守る必要がある。状況によっては、警戒区域の解除など職住近接、機能ミックスなどの現実的な対応も必要となろう。

中心市街地を再生する石巻市、高台に住宅を移転し海岸に店舗を整備する南三陸町。
隣接する二つの自治体で、まったく異なる復興への道筋が動き出している。このまちづくりの評価は、今後20-30年後にすべきであって、今は地元住民が決定したシナリオに沿ってまちづくりを進めていくことが大切である。
震災から4年、まだまだ被災地の復興には時間がかかる中で、震災復興ワークスもできる限り支援をすると新たに決意している。被災地の皆様に笑顔が戻ることを願っています。


  


Posted by 関幸子 at 18:00Comments(0)

2014年11月25日

人口減少社会にどう立ち向かうのか

平成26年11月23日に第13回いたばし共働・市民フォーラムが開催された。このフォーラムは、区民の有志が作った組織で、政治や団体と関係なく区民の自主的な勉強会組織となっている。この代表の鈴木 好行さんは、サラリーマンをしながら中間と一緒に板橋区の課題を区民目線でその解決方法を探ってきている。既に13年を迎え、地元にしっかりと根を張った組織となっている。こうした自主組織の存在は、住民自治にとって大きなちからとなっている。
今回鈴木さんから依頼を受けて、「人口減少社会にどう立ち向かうのか」 のシンポジウムのパネラーとして出席した。

人口減少は、既に藻谷浩介氏が10年、全国行脚しながら、地域に対して、早期に対応策をとることの大切さを説いてきた。私も同時に自治体でこのテーマで講演させていただいている。
今年に入ってから、日本創成会議が20ー30代の女性の人口比率から2040年に消滅可能性がある自治体が896にものぼるというショッキングな報告が出されている。
今回のフォーラムの基調講演は、創成会議の報告に基づき「地域消滅」を書かれた増田寛也氏(元総務大臣)が登壇した。東京で一般区民向けに直接お話しする機会が珍しいこともあり、板橋区の住民にとっては貴重な体験となった。増田氏の指摘で最も重要だと感じたことは、
1 年齢構成のアンバランス⇒社会保障の崩壊
2 国土利用のアンバランス⇒極点社会の出現 
  極点とは東京だけが人口を集めていくという、超集中国家となることを意味している。この大きな、解題にどう立ち向かうのか。
 という指摘である。

シンポジウムでは、板橋区の太野垣孝範総務部長、板橋区区議会議員熊倉ふみ子氏、武蔵村山市長の藤野勝氏、と私、鈴木さんがコーディネーターという布陣である。
今回パネラーとして、指摘したことには、
1 地方自治体の規模によって戦略を変える必要があること。
  現在1万人未満に自治体は485、1万ー5万人未満が693あ 
  り これだけで66%にもなる。日本の約7割は、規模が小さい
  自治体だという現実を直視することが重要となってきている。
  板橋区は54万人規模であるために、TOP35自治体に入り、
  都市型の戦略が必要だと行くことになる。

2 地方で5万人未満の特徴は
  ・ 高齢者の人口ピークは過ぎ、人口減少と過疎化の同時進行
  ・ 合併による面積が拡大、拠点施設の統廃合へ
  ・ 国土保全の1次産業従事者の高齢化と耕作放棄地の拡大
  ・ 少子化の影響で学校施設は過剰で転用か廃止へ

3 都市の特徴
 ・ 現在は、東京、大阪、名古屋へ人口の3極集中
 ・ 高齢者急増による医療、福祉、会議施設の圧倒的不足
 ・ 生活保護船体層化による財政圧迫
 ・ 都市インフラ(電気、ガス、安全対策、交通)コストの増大
 ・ 女性就業拡大による保育施設不足


こうした、地方と都市との構造がおおきくことなることから、
板橋区として都市型の政策が必要となっている。
その視点としては

1 全国統一基準から地域機銃へ
2 複合化・融合化 施設だえkでなくサービスも融合化へ
3 官民連携 間だけでなく、民間、大学、地域住民との連携へ

区部では、全国から集まってきている20-30代の方々が結婚し、生活し、子育て、教育できる環境づくりを進めることが最優先にすべきせいさくである、その中でも雇用政策は欠かせない。

良く、若者を地方に戻ってもらうこと、もしくは移転していただくとの議論も多いが、この数年では大きな方向転換はできない。
まずは、東京にいる若者に結婚し、出産するということに関心と希望を持ってもらうことではないだろうか。
そのことを都市部の自治体は認識することが重要である。都市の生活を豊かにすることは地方も作ることになる。

こうした提案を行ってきたが、シンポジウムではどのように受け止められただろうか。

人口減少のスピードを遅らせ、出生率を上げるには、ひとつの政策では成功しない。個々の事業をつみあげることであろう。  


Posted by 関幸子 at 17:02Comments(0)まちづくり

2013年02月16日

もう一度 中心市街地活性化!!

 本日2月15日、経済産業省の17階の国際会議室で、産業構造審議会中心市街地活性化部会が開催された。今回、私もこの産業構想審議会委員に就任したところだ。
ご存知のとおり、中心市街地活性化法は1998年に制定され、郊外に延びて拡散しする郊外型店舗に押され、疲弊してゆく中心市街地を、再生するために、地域の創意工夫をもって「市街地の整備改善」「商業等の活性化」を柱とする総合的・一体的な対策を行うために制定された。
その後に、大規模小売店舗の出店にあたり地元中小小売業者との商業調整を行ってきた「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法 律」(大店法) を、規制緩和の一環として2000年に廃止。替わって、いわゆる「まちづくり三法」である大規模小売店舗立地法(大店立地法)を制定するとともに、2006年に中心市街地活性化法及び都市計画を改正し、従来の商業調整に替わる新たな枠組みへと転換してきた。
 しかしながら、中心市街地の疲弊は止まらず、さらには改定活性化法の認定を受ける自治体も非常に少ないものとなっていた。
 今回、政権が自民党に移ったことでで、再度の中心市街地活性化法の見直しを行おうとしている。本日の会議には茂木経済産業大臣も出席して、以下のように述べている。
1998年の最初の中心市街地活性化法の制定、その後の改正にも深く関わってきた。しかし、中心市街地の深刻な状況は変わってない。商業だけでなく、今後はコミュニティを育むことやコンパクトシティへの方向となるだろう。経産省だけでなく国土交通省はもちろん、最初のときのように全省庁あげて、連携して取り組みたい。この諮問会議に期待している。

私も茂木大臣と同じように、1998年の最初の中心市街地活性化法に基づき、三鷹市で中心市街地基本計画の策定、TMOである株式会社街づくり三鷹の設立、そしてTMOでの活性化基本構想の策定と8年間にわたり活性化事業に取り組んできた。その後、秋葉原において、秋葉原タウンマネージメント株式会社の設立も行った。
合計11年にわたるTMOでの経験を生かして、この産業構造審議会の委員として具体的な提案を行いたい。
 
  


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2011年11月20日

福田興次さんを思う 今さらではなく今から

福田興次さんが9月13日に逝去されてから2か月がたった。

その訃報を耳にしたとき大きな穴がこころの中にぽっかり空いたようで、体から力が抜けて出てしまったようだった。

福田さんはまだ65歳だった。

福田さんとお会いしたのは、2003年にNPO法人地域産業おこしに燃える人に選定され、首相官邸で小泉首相との会合に招かれた時だった。その後、2005年に燃える人の会を結成した頃より、水俣から東京にお見えになる度にお会いする交流が始まった。

福田さんは、水俣の地にあって、公害で有名になった水俣の復興と新たなイメージを創出しようと、不知火湾を見渡せる丘に「福田農業ワイナリー」をお母様と開墾しながら作り上げた。その農場はみかんを中心として循環する農場で、みかんの皮、渋、実など、捨てることなくすべてを生かした商品づくりで、まさに循環型農業を実践して見せた。究極のエコ農業だった。

福田さんは、「福田スマイル」を常に絶やさず、出会う人を幸せにしてくれる人だった。そして、お会いするたびに「関さん、今さらって言ったらだめなんだよ。今からだからね。」と、挑戦する姿勢を見せてくれた。穏やかな姿の中には、熱い、熱い情熱が秘めていたことが分かる。

そして、もう一つの口癖が「魚を与えず、竿を与えよ」と言って、その場しのぎの戦略ではなく、水からが汗をかいて解決する仕組みや知恵を与えることの重要性を常に語ってくれたものだった。本質を見抜ける大人の男だったと思う。

福田さんの隣でそのお話を聞くだけで安心できたそんな人だった。

まだ65歳。水俣を熊本をそして日本を担っていく大切な人だった。
御本人も、もう少しの人生を望まれたことだろう。
あまりにも若すぎる死であり、この2カ月悲しみに包まれた時間だった。

福田さんの思いは、奥様や息子さんや娘さんとともに、私たち燃える人の心にも多くの大切なものを残してくれた。

私も福田さんの言葉を信じて「今さらでなく、今からだからね。」と
前に進んで行こうと思う。

そしてもっと早くにこの言葉をお伝えしたかった。
「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と。






     前列 白いジェケッツの女性が私 そのすぐ後ろが福田さん

         【 燃える人の会にて2004年  】  


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2011年09月25日

ローカルサミットが富山県南砺市で開催

第4回ローカルサミットが9月23日から3日間、富山県南砺市で開催された。
このローカルサミットは、2008年に先進国首脳サミットが北海道の洞爺湖で開催されたのを機に、全国のまちづくりの有志が、日本の地域の問題を協議するとともにグローバル資本主義に起因する人類・地球・いのちをめぐる諸問題を根本的に捕らえ、成長市場主義から自然と共生・循環に立脚した価値観への転換を図ろうとする目的で開催してきた。第1回目は、サミットと同じに北海道帯広市で開催されその後、愛媛県松山市・宇和島市、神奈川県小田原市、そして第4回は、富山県南砺市の利賀の合掌造りの里で開催された。

今回のローカルサミットでは、3月に発生した未曾有の地震と津波、原発事故を真正面からとらえ、いのちの尊さを考えるとともに東北復興への具体的な提案を行うという大切な議論の場となった。
開催地である利賀(とが)地域には、もともと「土徳(どとく)」の生き方が根付いていた。それは、地域には土地の徳があるとされ、信仰心をもち自然や伝統などの人間を超えた力によって生かされていることに感謝し、謙虚に生きるという精神風土から生まれた考え方である。この「土徳」の精神が息づく南砺市でのローカルサミットの開催は、まさに、地震と原発の問題を考え、地域再生を考えるのに最も相応しい会場地となった。

3日間で約200人の専門家と関係者が全国から集まった。
地域産業おこしに燃える人でもある、気仙沼の畠山重篤氏によるキースピーチがあり、「森は海の恋人」の思想をもとに、東北の海の復興には、森のメンテナンスの大切さ、そして鉄の重要性が語られ、あらためと自然の循環と環境保全が大切かが伝わってきた。
そのほか、「地」「水」「火」「風」「空」をキーワードの9分科会分かれて、医療と食、農林漁業の再生と地域の自立、金融の新たな形、自立型エネルギーなどについて活発な議論が交わされた。燃える人としては、山梨県庁の手塚 伸さんや愛媛銀行の福富治さんも分科会に参加。

私は、このローカルサミットには毎回参加しているが、今回は、「行政と市民をつなぐ新たなセクター」の分科会でパネリストを務め、「新たな公共」を進める具体的な手法について提案した。日本では戦後、行政が肥大化・硬直化し、3月の未曾有の地震の前に行政や政治の限界が露呈された。今後は、足元そして現場にいる市民の自立と自主的な働きなくして日本の再生はありえないという認識に立った。

この3日間の議論を経てローカルサミット宣言では
、日本人が長年に渡り培ってきた、自然と対峙せず、自然と共存し、地域の人々と絆を深め、自主自立の精神にたった生き方を目指すことが確認された。物質的な豊かさから脱し、地域の絆を深め、自然と共生する暮らし方を構築しようとする宣言であった。いわば、日本の未来は、懐かしい過去、伝統に答えがあるということだ。

交流会には、第3回主催地である神奈川県小田原市の加藤憲一市長、第5回目の開催地となる鹿児島県阿久根市の西平良将市長、それと南相馬市の櫻井勝延市長も顔を揃えていた。その交流会の中で最もパワフルでお元気だったのは、ホスト役である南砺市の田中幹夫市長だった。すべての方に声をかけ、気配りとともに、ローカルサミットの根底にある新しいまちづくりの手法を学ぼうという姿勢がにじみ出ていたように感じる。そして、事務局の吉澤保幸さんのご尽力に感謝感謝。

すばらしい方々との再会と出会いでした。パワーを貰いましたね。





南砺市の田中幹夫市長と南相馬市の櫻井勝延市長(中央)とともに会場で  


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2011年07月14日

アカデミー合唱団の御縁はつづく

法政大学アカデミー合唱団の50周年記念フェスティバルが先週の日曜日に開催されました。

そうしたら、先週、一学年後輩の「高欣也」君から、32年ぶりにメールがとどきました。
偶然と思いますが、まさにピッタリのタイミング。

メールの内容は、和歌山県新宮市で、職員研修の講師にというご依頼でした。高君の奥様が、市役所の職員で、協働推進課(通称:みんなの課)を立ち上げ、地域住民、ボランティア、NPO等などで委員会を組織し協働事業として何ができるのか?何をすべきか?などを話し合いながら事業を進めているようです。
変革の中で公務員の資質も転換が求められています。
ここ数年間、私が公務員の発想の転換、社会変化への気付きを唱えてきましたので、まさにうってつけのご依頼でした。

さっそく、10月には、新宮市を訪問いたします。
また、古き友人との再会が楽しみです。

高君、お会いしましょうね。

face02合唱団時代のステージ裏で
前列左から二人目が筆者

  


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2011年07月13日

日本酒はどんどん素敵に変化しています

最近、日本酒と御縁が深まっています。
長いこと、日本酒って「おやじ」臭いと思っていましたが、
昨年、農水省の農商工連携事業で富山市にある桝田酒造店の「満寿和(ますいずみ)」と出会って、ムムム、日本酒はおいしい!!!と発見しました。
この農商工連携では、中国向けに新たなブランドを立ち上げて、日本酒の革命を起こそうと、桝田社長とともに多くのブランディングメンバーが挑戦しています。
もう少しで、お披露目がかのうですのでご期待くださいね。

また、銀座の「SAKA HALL HIBUYA」では、日本酒のカクテルが楽しめます。日本酒を水やソーダで割ってカクテルにすると、これが結構イケるんです。酒の甘みがほのかに残っていますが、やっぱりカクテル。女性にピッタリです。
ぜひ、今後銀座で日本酒カクテルをお楽しみにください。

今年は、さらに日本酒との御縁が深まりそうです。  


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2011年07月12日

家族の絆を深める 子育てを地域で考えよう

我が家の二人の娘も成長し、2年前に二女の清香は結婚し大阪にいます。長女沙織もここで良きパートナーに恵まれて来週には結婚が決まりました。
思い起こせば、仕事をしながら二つの保育園を掛け持ちしながら子育てしていた時は「時間追われ、緊張して、ストレスを抱えていた」記憶が鮮明に残っています。

それから20年もたつというのに、いまだに働く女性の環境は好転していません。男性であれば、結婚、家庭、キャリアとすべてが手に入るのに、女性だからと言って、何かを諦めめなくてはいけないんでしょうか。

こうした労働環境や雇用制度を改善しないままにきた日本社会は、今まさにそのつけを払うことになっています。

少子化は、子育ての問題ではなく、結婚することに価値がなくなってしまったのか、結婚して自分の仕事を諦めるのか、という古くて新しい「見えない壁」を未だに日本は崩せずにきたktにあります。団塊ジュニアの未婚率の高さが日本の少子社会を作ったことに気づくのに10年遅れたこと悔やまれます。

こうした社会の中にあっても、子供をもったパパとママは、
地域のなかで絆を深めながら子育てしたいと願っています。

7月16日土曜日に「深めよう家族のきずな@吉祥寺」が開催されます。
三鷹子育てねっとを構築して以来、地域の子育てのお母様方と交流を深めてきました。今回も若いご夫婦にお会いして、子育ての楽しさを伝えたいですね。
御時間がある方はぜひご参加くだささい。
ワールドカフェ方式で運営されます。 icon06

  


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2011年07月11日

法政大学アカデミー合唱団

7月10日に法政大学アカデミー合唱団のの50周年フェスティバルが開催されました。
私は、18期の卒業生ですから、その後32年も継続され、とうとう半世紀の厚みのある合唱団となりました。
大学生になって初めて音楽のサークルに入り、絶対音程には悩まされたものですが、前後、8年間もの先輩や後輩にも出会えて、学生時代最も充実した日々となりました。
今回最後に歌った「夜のうた」は
東北復興ににもつながる心の絆のうたとなりました。
この歌に出会えたことも宝となりましたね。

夜のうた
 坂田 寛夫作詞
 佐々木伸尚作曲

暗い地球に 明りが灯る
光の輪の中に 微笑みがある
さびしいけれど ひとりぼっちじゃない夜
お休み今日の日 おやすみ仲間

霧が川から 静かにのぼる
おまえの窓の灯も やさしく潤む
さびしいけれど ひとりぼっちじゃない夜
おやすみ今日の日 おやすみ仲間

大学3年のソプラノメンバー
前列左端が筆者

  


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2011年04月06日

伊賀市による東北復興チャリティイベント

3月の地震で被災された方々にお見舞い申しあげます。

この地震によって、東京でも様々なイベントや会議が中止になっている。その中で、伊賀市は予定通り、伊賀市の食材フェアを開催した。開催に当たって、イベントを東北地域の復興チャリティとして位置づけ、会費を全額日本赤十字社に寄付するとともに、伊賀市の焙煎菜種油やエクストラバージオイル等をチャイティの商品として格安で提供した。
東北の復興には、長い時間と資金と英知と人材が必要である。そのためには、東京等の経済の中心地域は、経済の歩みを止めることなく、一層活性化させることで、日本の活力を作り出すことができる。従って、行き過ぎた自粛をやめて、今こそ大いに消費し経済の力強さを作り出そうという発想に基づいて、伊賀市はこのイベントを決行した。
伊賀市はその東京の方々に、伊賀市の新鮮で美味しい食材で英気を養ってもらえればということで、この時期にあえて開催したものだ。

確かに、この時期にと思われたかたもあるが、その目的に賛同され、伊賀市関係者や三重県庁東京事務所の方々だけでなく、新聞社関係、近隣の企業人など役40人が参加した。

最初に被害にあわれた皆様に黙祷を捧げ冥福をお祈りしました。

伊賀市より新鮮な野菜、伊賀牛、味噌等の材料を使って10品が披露された。

そこで、参加者からは、
「下を向いていないで前に進もう。」
「東北の復興のためにお金を作ろう」
「東京ができることは我慢する事でなく、新しいことをやり始めるときだ。」
「現地には行かれないが、今の自分にできることは、元気をだすことだと思う」などの意見が多かった。

最期に、「頑張ろう、頑張ろう」と
掛け声をかけて終了した。

参加していて、これまで何だか笑ってもいけないし、
自分達は楽しんではいけないなどの
呪縛やストレスから開放されたようだ。
春も着たし、縮こまっていないで、腕を広げようよ。
そんな気持ちにしてくれたフェアだった。

伊賀市の英断に感謝したい。
  


Posted by 関幸子 at 19:34Comments(0)

2011年02月10日

友 遠方にて再会

人生っていいよね。今年の実感。

最近、人生で「もう一度会いたいなあ」と思っていた友に
再会しています。

偶然とはいえ、実に人生のサプライズプレゼントで嬉しいですね。


その一人が、富山大学付属病院の山城 清二先生。
何とお医者さまになってました。
素晴らしい!!

実に三鷹二中を卒業して以来35年ぶりの再会。

お互いに中学校時代とほとんど変わっていないと
驚いてます。
成長してないのでなく、あのころの
新鮮さをもってたということで、
お互いに納得してます。(!!)


これからは、地域再生や地域医療でのまちづくりなど、
意外な接点がありそうです。

この春の富山での再会がまた楽しみだね。



  


Posted by 関幸子 at 00:29Comments(0)

2010年09月29日

十和田のまちおこしは「馬」で

昨年の1月以来、久し振りに十和田市を訪問しました。

秋の十和田は、稲の刈り取りの時期で、黄金色の稲穂が田んぼで光り輝いています。
ここでは比較的大きな区画の田んぼが多く、機械化が進んで言います。その田んぼを八甲田山からの風を防ぐ防風林が囲んでいて、美しい農村の景色を描いています。

久し振りに「美しい」田舎の景色を見ることができました。
米どころといわれる有名な産地でも、田んぼと家屋が混在し、農地の切り売りが進んでおり、がっかりしてきました。

しかし、十和田市では、田んぼと農家や家屋がしっかりと分離され、ゾーニングの美しさを表現しています。

秋晴れにも恵まれ、清清しい風が吹いていました。

日本はやっぱり素晴らしい。






十和田市の市内では、NPO法人のハピたの の中沢さんが
約束どおり、子育て中のお母さんや子ども達のための居場所
となる、まちCAFE をオープンさせていました。
扉の前にたった瞬間「温かさ」を感じました。
やはり、気持ちのある人が作ると「気」のある場所となるようです。
このCAFEで市内高校生が一日食堂を開催します。
そのきっかけを作ったのは、三重県多気町のスーパー公務員岸川政之さん。今年の夏に、中沢さんを訪問し、すぐにこの企画が実現。やはり、実力者が出会うと爆発しますね。





そして帰りに、十和田乗馬倶楽部にて、始めて一人で手綱をとる乗馬に挑戦。
最初はこわごわ乗っていましたが、段々馬との呼吸も合ってきて、すっかり乗馬の虜に!!!

十和田では、馬が町の中にいるまちづくりを進めると、おもしろいですね。通勤、通学は馬で イカシテませんか。

  


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2010年05月03日

キッコさんと

ゴールデンウィークに晴れのは本当にいいものだ。
誰もが出かけたいと思うし、様々なイベントや催し物にも人が集まり主催者も、笑顔があふれることだろう。

私の今年の連休は、久し振りに大学の友人と合う事ができた。
織田紀子さん=通称キッコとは、大学卒業後、人生の節目、節目で会ってきたが、今回は4年ぶりになるだろうか。
キッコは昨年、横浜に家を新築し、秋田県の雪ちゃんを飼って、子供のように世話をしているという。もともと、世話女房タイプだtが、だんなのほかに犬にも多くの愛情を注いでいるようだ。

私のほうも昨年、娘を嫁がせていることもあり、お互いに写真を見せたりと、結局8時間もしゃべりぱなしだった。
二人であうといつも学生のその時に戻れて、30年も時がたったとは思えない。やはり「友」とは嬉しいものだ。

今度は、いつもの仲間5人であいたいな。
今年は何回も合おうと約束して、それぞれの家路についた。
その足取りは、スキップのよううだった。





   織田紀子さんと(お互いにあまり変わっていない!)  


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2010年03月08日

市民参加とワールドカフェ(会議運営マネジメント)

最近、ワールドカフェという、カフェを飲む気軽な雰囲気の中で「会話」を大切にしたコミュニケーション手法が話題を集めています。
このワールドカフェは、民間企業の会議運営手法として広まってきましたが、実は「市民参加」でも有効な手法です。

三鷹市では、昭和48年からコミュニティ行政を開始し、第1次三鷹市基本計画策定で「市民会議」を設置し日本で最初の政策形成過程での市民参加が実現しました。この時には指名制によるもので、座長による会議運営となります。
その後、平成2年の第2次基本計画時には、公募委員も加えて73人もの委員による、やはり座長製での会議運営を行ってきました。
その後、平成12年には、400人もの市民参加による「白紙委任」による第3次基本形計画の策定を行なってきました。
この3次にわたる市民参加による基本計画策定でも、会議は座長制による手法が中心でした。

実は自治体は、市民参加の仕組みを様々開発してきましたが、実は、「会議運営:いわゆるファシリティーマネジメント手法」については、ほとんど工夫をしてきまていませんでした。

これまでの座長製での会議運営は、①座長の会議運営の実力がないと、悲惨な会議になること、②全員が発言できないこと、③発言するのに緊張すること、④参加者の会議マナーが必要なこと ⑤一人の意見によって会議の流れが大きく影響する など、実は偶然が左右するという多くの課題を抱えていました。

一方でアメリカで生まれた「ワールドカフェ」の手法は、①少人数でテーブルを囲んで全員が気軽に意見でなく会話として話しができること ②会場空間を花を置くなどしてカフェのような雰囲気に装飾すること。空間マネジメントの考え方を採用していること ③テーブルの上に模造紙をおいて聞きながら文字だけでなく絵や図形を描き、右脳と左脳の両方を使うようにしていて、能科学的にも大きな効用があること 等
今まで日本にはない、「会議を運営するスキル(技術)」に着目している事です。

このワールドカフェに惚れこんだ私は、3月5日に、自治体職員やまちづくり感謝向けに「ワールドカフェ体験講座」を師匠である大川さん(ワールド・カフェ・コミュニティ・ジャパン副代表)と一緒に開催しました。
24人という少人数でしたが、私が予測したとおりに、これまで形にとらわれていた「市民参加」を、誰もが主役で本心を言えて、他の人の気持ちや考えたかも分かる、そんな当たり前の事にしていきたいですね。
5月にも「ワールドカフェ体験講座」を開催します。
ぜひ、ご参加くださいね。


  


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2010年02月25日

2010年 元気な年にしたい

2月の後半ですが東京は暖かい日になりました。
春も近いという感じです。
春は好きですが、花粉がどんどん厳しい症状になってきていて、辛い季節となりました。

本日は、J&Jのヘルシー・ソサィエティ賞授賞式。
幸運にも、3年前に、公務員部門賞でこの賞をいただきました。
今年は鳩山総理ご夫妻も出席され、華やかな授賞式になりました。

授賞の挨拶では、医療、教育、ボランティア部門とそれぞれに、周りで一緒に働いている方への感謝の気持ちを伝えるとともに、今後の日本を元気にしたいというメッセージを発していました。

いい話題がない日本ですが、今日の授賞式会場には、笑顔と元気と感謝の気持ちがあふれていました。

私も今年は、日本を元気にしたいと思います。
ブログにも復活です。
ご期待くださいね。

  


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2009年06月20日

らくだ銀座

18日の金曜日。この日、人生って、そして映画って素晴らしいと感じた一日となった。旅にだした息子が大きく立派になって戻ってきたかのような日となったからである。

さかのぼる事6年前、2003年11月1日に三鷹産業プラザで1本の映画が上映された。その名は「らくだ銀座」。
監督である林弘樹さんと脚本家の栗山崇大さんが、「商店街」を題材にして映画を撮りたいと三鷹市の商店街に持ち込んだ。その当時の三鷹商工会理事の池田さんが、二人の情熱にほれ込んで、商店街、商工会、そして三鷹市役所を説得し応援を取り付けた。同じように福島県北白川地域でも応援団が結成され、その二つの地域を中心に撮影が開始され、そして完成。

当時私は、まちづくり三鷹で撮影に必要な人の紹介や会場提供をした。そして1日の上映会の時の熱気を今でも鮮明に覚えている。
会場を埋め尽くした三鷹の商店街や市民の顔には、達成感と大きな喜びに包まれていた。
しかし、その後、この映画のことをすっかり忘れていた。

しかし、人生は素晴らしい出会いをプレゼントしてくれる。
5月に秋葉原で林監督と再会。「関さん、らくだ銀座のメイキング映画の上映会があるからきてください」という。
そして18日「笑えれば」の上映。このメイキング映画は「らくだ銀座」の企画段階から、林監督、栗山氏ことクリリンの苦悩と挫折、そして、2地域の応援団の姿を捉えている。その映像を見て、こんなにも苦労した作品だったんだと初めて知ったのである。
笑えればとは、クリリンが、映画が完成したときに皆と笑える自分でありたい、だから、脚本を描く事を逃げない という覚悟を語った時の言葉。 なぜ、嗤えればなのか  ・・・納得である。

「らくだ銀座」は三鷹市を始めとして、この6年間もの間、全国の商店街を回り上映されただけでなく、海外招聘作品としても海外で上映され、大きく成長していった。
映画に関わった三鷹市の関係者も、地域が生み出した「らくだ銀座」が大きく皆に愛されていたことを知らないだろう。
そしてこの作品の成功によって、林監督も脚本家栗山氏も、映画界の新星となり大きな期待が寄せられている。

大きくなって戻ってきた息子達にあえた喜びの日に感謝・感謝!!


      林 弘樹監督とともに
  


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2009年04月12日

市民と行政の協働によるまちづくり

全国j女性議員サミットの二日目。
本日、4月12日は、分科会「市民と行政の協働によるまちづくり」にパネラーとして、参加しています。

テーマとして、市民参加という一部政策形成過程から、パートナーシーップや市民契約方式で「協働」をそう進めるのか。概念の確認と事例を通じて、その手法や課題を明確にしようとするシンポジウムです。

■コーディネーター 内藤 和美(群馬パース大学教授)
■パナラー    藤原 真由美(バックアップスクールIN大分事務局)
           真下 淑江(自給と手づくりの会)
           大島 く美子(財団法人新潟女性財団理事長)
           関 幸子(地域産業おこしに燃える人の会)

このメンバーで、それぞれ取り組んできた事例発表をしました。
沼田市での市民活動を進めてきた、真下さんからは、
協働に向けて大切な事として
1 明確な目的もつこと。
2 自分でできることをする。
3 お互いに信頼関係を培う。
4 それぞれの独自性を認識し、責め合わず、お互いに補う合う。
5 透明性を確保する。
6 第三者評価としての眼

として発表されました。
真下さんは、市議会議員を12年間された経験から、地元市民とともに、廃油の回収や図書館建設に向けた読み聞かせの会等実施しています。その姿勢は、しなやかで、穏やかであり、静かな語りですが、意思の強さを感じられました。こうした、方が地域を支えられていることを実感しました。

参加者は、市議会議員を中心に100人。
協働という直接民主主義と議員制により間接民主主義の違いと役割は如何に。議員の地域での役割が変化していこうしていいることは、どのように認識したのだろうか。


  


  


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2009年04月11日

第5回 全国女性議員サミット IN 群馬 



2009年11日(土)、12(日)の二日間にて、政策形成過程への女性参画をされに拡大し、真の男女平等参画、いわば男女平等社会に向けて、動きだそうと、全国女性議員サミットが開催されています。
11日は、衆参の7人の女性国会議員が3時間にわたり、女性の地位の現状と課題、そして女性の参画を確実に実現するための制度提案、そして就業制度、ライフワークバランスへの提言が積極的になされています。

フロアには、全国から駆けつけた市町村を中心とした700人もの女性議員等が埋め尽くしています。
その熱気ある会場でこのブログを書いています。
それは、12日に開催される分化会のなかで、「市民と行政の協働によるちづくり」のパネリストとして
参加するために、ここ高崎の会場にいるわけです。

7人の女性国会議員の方々は、それぞれの政党の立場の違いはあるものの、国会だけでなく、社会そして家庭の中でも未だに、多くのハンディキャップの存在は明らかであり、その打破に向けて動き出していく必用があるということは、全員一致しています。
その基本にあるのは、
1 政策過程への女性の参加促進(クオーター制の導入)、女性の政治参加が重要。
2 就労政策の改革=賃金格差の打破、雇用と社会保障制度の充実 20代、30代の女性が自分の人生をあきらめない。
  働き、結婚して、子供を生むという、普通に生活し、人生を生きていかっるというしくみの実現。
3 女性の意識改革、小さいころからの教育(他人ごとから自分のこととして政治、経済に関心をもつこと)
4 子育て支援(自立支援、母子家庭支援(生活の支援と就労支援)、の充実
5  女性に限らず、社会政策、諸外国にも目を向けていくこと。

7人のパネラーの発言は、しっかりと勉強していることを感じるし、議員としても国会内で制度実現に向けて戦っている様子が目に浮かぶ。経験がやはり人を育てることをこの7人は、その存在をもって証明している。
女性の場合には、いまだこの経験すらできない女性が多いし、舞台の上にもあがっていない現状をどうするのか。
今、学ぶから勇気をもって1歩を踏み出す時期にきているかもしれない。

■ コーディネーター
  山崎 紫生 高崎商科大学教授

■ パネリスト
・ 糸数 慶子(参議院議員 無所属)
・ 小渕優子(衆議院議員・自由民主党・内閣府少子化対策担当大臣)
・ 紙 智子(参議院議員・日本共産党)
・ 亀井 亜紀子(参議院議員・国民新党)
・ 福島 みずほ(参議院議員・社民党党首)
・ 古屋 範子(衆議院議員・公明党)
・ 円 より子(参議院議員・民主党)




  


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2009年04月06日

武蔵野さくら祭り

4月4日


武蔵野市のさくら祭りに参加しました。
市役所とグリーンパークにお見せや展示ブースがたくさん並び、日曜日ということもあって、多くの市民と親子達が参加していました。
道路も桜のトンネルが続き、地域全体が桜色に染まっていました。
今年は不況といこともあってか、例年以上の人が出ていたようです。



  


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